Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

心模様が雨の時は傘をさしましょう。

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【はじめに】

はいよっ!
おはようございます。
タクさんです。

今日はどんな天気でしょうか?
空の天気もコロコロと変われば、
心の天気もまたコロコロと変わっちゃいますよね。

これが変わらずにずっと一緒の天気なんだとしたら、
きっと僕らの毎日も無味無臭のつまらないものになっちゃうんでしょうねー。

だから、晴れも良ければ雨も良し!
というわけです。

僕らはこの差があるからこそ、どちらも味わうことができる反面、
この差があることで、比較をしてしまい落ち込んじゃうこともあるってことです。

でも、このからくりさえ知っておけば、この差による苦しみは徐々に解けていくんですね。

さてさて、
解けちゃうと、もうどんな天気でもいいよね〜ってなるんですけどね。
もう一つ抑えておきたいのは、
雨が降ってるなら傘をさせばいいし、嵐が来てるなら家の中でゆっくりしてればいい。
ってことです。

これは心の天気も一緒でね。
雨が降ったなら傘をさせばいいし、嵐が来てるなら、家の中でゆっくりとしてればいいんです。

 

【心模様はコントロールできない】

僕らの心も、土砂降りの日もあれば晴れ渡ってる日がありますね。
できれば、常に晴れていてほしいと願ったりするもんですが、そうはいきません。

雨は雨として必要だから起こってるんですね。
必要というか、必然といったほうが近いかもしれません。

この必然性を調べだすときりがないのですが、ま、それはそれでいいとして、
雨が降っててぬれてしまって大変です!ってなってるとき、

「僕らはどうしたらずっと晴れにできるんだろう?」
「どうしたらこの雨は去ってくれるんだろう?」

ってね。
ちょっと無理な願望をもっちゃうんですよね。

そして、この心模様をコントロールできないことで、二重に苦しむんです。

雨に濡れて苦しみ、雨が降ることをコントロールできない自分を責める。
みたいなね。
そんな感じになっちゃうんですよね。

でも、空模様の雨なら自分を責めることってありませんよね。
「チッ!めんどくせー」
くらいは思うかもしれませんが。

それと一緒でね。
心模様も色々あるのが当たり前ですのでねー。
雨を降ってることについて自分を責めるのって、ちょっとお門違いなんです。

【心の雨に傘をさすとは?】

空の天気なら雨のときに傘をさすのはわかりますよね。
でも心模様が雨の場合にどうやって傘をさすのよ??

まさか、ホントの傘をさせってこと?心は雨でも、空は晴れてるんですけど?

って疑問を持たれる方もおられるかもしれません。

もちろん。心の傘は比喩でございます。

僕らはクセとして、心模様が雨だったり嵐だったりすると、
大変だ!ってなもんですぐに突っ込んでいってしまうんですよね。

それをやめること。
これが心の雨に傘をさすということです。

それは、思考の声に耳を貸さないということです。

僕らの思考は心模様に沿うようなストーリーを頭の中で奏でてきます。

心模様が雨の場合は、どう頑張ったって、頭の中で、
「フワフワ〜♪モコモコ〜♪」
ってな気持ちのいい旋律は奏でてくれないんですよね。

だから、あ!雨が降っとる!ってなる場合は、一旦思考のおしゃべりを無視してやり過ごす!っていうのが、心の傘のさし方なんです。

雨どころじゃなくて嵐が来てるって言う場合は、思考どころか、心にも近づかないでください。
うわっ!今近づいたら怪我しちゃう!近づかずにほっておこう。もう寝ちゃおう。
ってな感じでね。
とにかく近づかないこと。
それがコツでございます。

まー、実際は嵐も雨も幻想なんですけどね。
どうしてもリアリティを感じちゃうような時は、そうやってやり過ごしてみるのもオススメです。
天気をコントロールしようとするのではなく、天気とちゃんと付き合うんです。

 

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