Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

連想ゲームとリアリティ

f:id:takuteto:20210522000648j:plain

【はじめに】

はいはい。
どうもおはようございます。
タクさんですよ。

皆さん今日もいい気分でしょうか?

腹立つことてんこ盛りやでー!って方もおられるでしょうね。

仲良く喧嘩しな!じゃないですが、面白おかしく腹を立ててくださいませ。

まーねー。
いわゆる恐怖とか苦というものは、自分というものを守りたいという思いと一緒なんですよね。
だから、安心したいし、安心できないことをなんとかしておきたいってわけなんです。
でも、守る自分っていうのはいてなくて、守らなきゃいけないと思っていたのは、
ある種の「〜であるべき」っていう思いであってね。

スローガンというか思いというか、この「べき」に沿わなければ恐ろしいことが起こる!
っていうね。
根も葉もないウワサのようなものを恐れていたっていうことでもあるんですよねー。

ま、僕らは恐怖の気分で思いに接しておりますのでねー。
この思いの中に恐怖があり、この「〜べき」に従うことができたなら、
この恐怖から解放される。
嫌な思いから解放される。

みたいな錯覚をしてしまうんですよねー。

例えば、
「20代で結婚すべき」
みたいな思いがあったなら、そのべきに沿うためにはどうしたらいいのか?
そして、その思いに沿わない自分を責めたりもするわけで、
なんとか20代で結婚できたなら、こんな苦痛を味合わなくていいのに、、、。

ってね。
そんなふうに思っちゃうわけなんです。

このくらいの地位にあるべき。
これくらいの収入があるべき。
体は健康であるべき。
優秀であるべき。

みたいにね。
イメージなのでいくらでも「べき」は作流ことができます。

でもこの「べき」に従うなんて、まるで自分が思いの召使いのようになってしまっておりまして、
本来の機能からすると、ずいぶんねじれたものになっちゃってるんです。

このねじれを戻してやらんことにはねー。
思いの召使い、もしくは奴隷になっちゃうんですよね。

 

【恐怖の反応は思いの中にはない】

僕らは思い通りになれば、恐怖から解放されるって思っておりますからね。
思い通りにならない時、この思いと恐怖をセットだと思っちゃうわけです。
つまり、この思いになにか力があって、その力は自分よりもとてつもなく大きいように感じてしまったりするんですよね。
でもこれは錯覚っていうか、催眠っていうかね。
僕らっていろんな刺激によって反応って起こるわけなんですが、
思い通りにならないと怖い!っていう反応がここで起こっちゃうんですよね。

この思い通りの「思い」がどんなにデタラメでも、反応が起こっちゃうからリアルに感じてしまうってわけです。

この反応が思いにリアルさを演出することで、思いに何か自分を超える大きな力があるのではないか?
みたいなね。

そんな錯覚をしちゃうんですよねー。

でもそれは、まさしく錯覚なんです。

【思いは便利ツール】

思いってね。別に恐れるようなものではないんですね。
これはあくまでも便利ツールでございまして、あれこれと思い浮かぶ思いは、
スマホのお知らせと同じようなものなんです。
そしてこれらのお知らせのほとんどは、どうでもいいお知らせです。

いや、全てがどうでもいいし、どちらでも良いお知らせと言ってもいいかもしれません。
思いはお節介さんなので、なんでもかんでも表示しようとするんですよね。
そして、そんな思いの一つに目に止めると、次から次へと関連情報をお知らせしてくるという徹底ぶりなんです。

しかもこのお知らせは全部幻想でしてね。
さて、何をイメージして遊びますか?とお知らせしてくれるようなものなんです。
イメージアプリみたいなもんでしょうかね。

このアプリは目に止めるだけで、あれよあれよと連想ゲームに引き込んでいくわけです。

僕らはこの連想ゲームを遊びすぎておりますので、ついついどんなものでも
このゲームのように、連想して繋げようとしちゃうんですよね。

これはつまりどういうこと?
だとしたら、こういう場合はどうなる?

みたいな感じでね。

そしてこの連想は体の反応も呼び起こしちゃうので、ついリアルだと錯覚するわけです。
だから、僕らはこの連想ゲームこそが世界の真実だと信じちゃうって寸法なんですよねー。

 

▼僕のfacebookページはこちら。よかったら「いいね」してね!
コメントなどでつながりましょ〜!