Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

後悔という幻想

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【はじめに】

ぼーくーやっぱり勇気が足りない。
アイラブユーが言えない〜。

ってねー。

あ、これはブルーハーツの曲の一節なんですけどね。

不意にこの歌詞を思い出して、なんだかキュンキュンしているタクさんです。

どうもおはようございます。

まーねー。
僕が中学生の頃はスマホもメールもありませんでしたからねー。
告白しようと思うと、二人きりで会う約束をとりつけなきゃならんわけで、
そうなると、家に電話をしなきゃならんわけですよ。

こいつがなかなかハードルが高くてですねぇ。
お父さんなんかが電話に出ると、めちゃくちゃ怖かったりするんですよね。

なので、電話をする前にこの歌を聞いて勇気を出そうと奮起しておったのを思い出します。

はぁー。
時間って、、、、。
経つねぇ。

やらない後悔よりやる後悔!
ってことでね。
僕は結構ちゃんと告白する派でしたが、
みなさんはどちら派でしたでしょうか?

 

【後悔ってねぇ。ウソですからね】

まー、皆さんの中にも、過去のことに対して多少の後悔はあるかもしれませんけどねー。
でもね。
だからと言って、結局のところ、その時の選択っていうのは、いつもそれがベストというかね。必然なんですよね。

その時、勇気がなかったのなら、勇気がなかったのは、その時の必然なんです。
だから、もしその時に戻ってやりなおそうとしても、結局同じなんですよね。

そこで、パラレルワールドみたいに世界線が分かれる。
なんてことはないわけです。

だから、そもそも後悔っていうのはね。
ウソなんですよね。

もしこうだったら!
っていう思いはね。
ただただ、今作っているイメージストーリーでしかなく、そのストーリーによって、
「あの時こうだったら!」という幻想を「今」作っているに過ぎないんです。

逆にいうと、今を変えれば後悔は消えちゃうということでもあるんですけどね。
ただ、その今が変えられないというのもこれまた必然であり、
そもそも、後悔自体がウソというか錯覚でしかないんです。

【後悔の錯覚がさらなる幻想を生む】

なまじっか、あの時もしかしたらこういうことができたはず!
っていう思いがあるもんですからねー。

今後もこんな後悔をしないように慎重にならなければっ!
みたいなね。

そんな恐怖感に似た感覚を感じたりもするわけですが、
これって、逆でしてね。

あの時できなかったから、今後はできるようになった!
ということなんですよね。

で、今はわかるからあの時に戻ったらうまくできるはず!
みたいなね。
そんな変な錯覚をしているに過ぎないんですよ。

あの時、白いシャツでイカ墨パスタを食べたから、えらいことになった!
だから、イカ墨を食べる時は黒Tシャツを着るようになった!

みたいなね。

そして、今起こっている選択もね。
これぜーんぶ必然なんです。

【選択も後悔も必然】

こっちを選ぼう!とする選択もいろんな必然によって起こることですし、
その選択が現れることすら僕らのコントロール外のことなんですよ。

また、今後後悔が起こらないようにしよう!としてもねー。
成功と失敗っていうこれまた幻想の概念を持ち続ける限りは、
今後も後悔は起こるんです。

で、それもまた必然なんですよね。

だったら、成功と失敗の概念をどうすれば手放せるのか?
ってついつい思っちゃうかもしれませんけどねー。

思考の働きや防衛反応は、この概念なしには働かないので、
これもまた、必然として起こるもんなんですよね。

そして、それは起こっていいことなんです。

おー!今日もちゃんと心臓が動いとるなーって感じるのと同様にね。
おぅ。今日もちゃんと思考が働いておるわ。
って感じてあげればいいんですよね。

心臓を気合で止めたり動かしたりできないのと同様に、思考や感情を思い通りにコントロールなんてできないですし、そもそもそれをしようとしている「自分」すらいないんです。

その「自分」もまた、思考の中の住人なんです。

 

 

takuteto.hatenablog.com

 

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