【はじめに】
ほーい。
おはようございます。
ギリッギリで確定申告を済ましたタクさんです。
いやー!偉いぞっ!ワシ!!
ということでね。
まー皆さん。
いろいろなお仕事をされていると思うんですけどね。
やっぱり仕事というからには、そりゃーちゃんとしなきゃいけないですよね。
だから、皆さんちゃんとしようとしていると思います。
そしてねー。
仕事だけじゃなく、子供の頃から、学校での勉強やクラブ活動なんかでも、
この「ちゃんとしよう」を
かなり叩き込まれてきたのではないか?
って思います。
ちなみにね。
僕の子供時代は、この「ちゃんとしよう」が欠けた子供だったので、
学校もクラブも一切ちゃんとしなかったんですけどねー。
「みんな、ちゃんとして偉いなぁ〜。ワシにはできんわ。」って思っておりました。
まあとはいえね。
今となっては、仕事とかについては結構ちゃんとするんですけどねー。
でね。
こういった非二元の話や、いわゆる真理の探求という話になりますと、
この「ちゃんとしよう!」という思いって結構邪魔になるんです。
とはいえ、テキトーに向き合いましょう!ということでもなくてねー。
真摯に向き合いつつ、不真面目であること。
なんかこれがキーワードのような気がします。
真摯って真面目という意味も含むのでややこしいのですが、
それでもあえて言わせていただくと、
真摯に不真面目であること。
これがコツなんだと思うんですよねー。
「は?どゆこと??」
ってなると思いますので、
今日はこの辺について書いていきたいと思います。
【悟りのイメージ】
悟りとか非二元とかね。
なんか、こういうのって、変な権威がついちゃってますからねー。
非二元という言葉も、
悟りや禅といった言い方から感じ取られてしまう権威から逃れるために作られたんじゃないか?って側面もあると思うんですが、
それでも今となっては、この非二元っていうのも妙に微笑みを蓄えた人が穏やかな口調で語るもの。
みたいなね。そんなイメージがついちゃってるかもしれません。
そうなると、どうしても、「ちゃんとしている」っていうイメージがつきまとってくるんですよねー。
でもね。
これって、「目指すところ」って言うとちょっと変ですが、そもそもの「それ」とは完全に許されたものでありますし、定義というものがないものですのでねー。
「ちゃんとする」がちょっと合わないんですよね。
「ちゃんとする」という言葉には、必ずその裏に守るべき定義が隠れておりますからねー。
定義というものがないものに、定義を当てはめると、延々と矛盾を追うことになってしまいます。
【実はお気楽さを受け入れるという話である】
この定義のない「それ」というのは、言い換えると「お気楽さ!」ということでもあるんです。
深刻さとは、何かしらの定義によって演出されるものなんですけどね。
この定義が外れると、深刻さもなくなってしまいます。
そうなりますとね。
そこに残るのは「お気楽さ!」なんですよね。
そして、この「それ」への探求とは言い換えると、「お気楽さを受け入れること!」ということなんです。
このお気楽さを受け入れるということに、「ちゃんとする」をしてしまうと、途端にこのお気楽さが消えてしまうんですよねー。
だから、いわゆる真面目さは、ちょっとそぐわないんです。
真面目に不真面目を受け入れる。
これがテーマになるんですよね。
元々はお気楽さなんです。それが自然なんですよね。
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