Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

正しい観点もなければ、価値が高い観点もない

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【はじめに】

はーい。
どうもおはようございます。
タクさんです。

いやー。
ホント、最近なに書こっかなーっていうのが思い浮かばなくて、
困っちゃいます。

こういう時は、とりあえず、ダラダラっと書き始めるしかないですよね。

ちなみに、やる気がでなーい。モチベーションが上がらなーい。
なんて悩んでおられる方もおられるかもしれませんが、

実は、やる気とかモチベーションなんてものは存在しないってご存知でしょうか?

つまり、やる気待ちをしても、ダメなんですよね。

「私はまだまだ本気を出していない」
ってね。
本気になれることを待ってると、ずーっと待ち続けることになっちゃうんですよね。

だから、そういう時というのも、
とりあえず、やり始めてみる。
というのがオススメです。

すると、なーんとなく勝手に方向性が定まってきてくれますからねー。

あとは、「ちゃんとしよう!」という思いにあまり付き合わないことですね。
そうすると、途端に「ちゃんとするべき」お化けに取り憑かれちゃいますからね。

大丈夫です。
あなたは、あなたのまんまでもう完璧なんです。
そうじゃないように感じるのは、きっと「〜べき」という思いの錯覚を観ているだけなんですよね。

 

【正しさもなければ、真実もない】

そもそもね。
この世に正しさもなければ、真実もないんです。
だから、真実を知ろうと探求したとしても、延々と真実にはたどり着けません。

まー、真実を知ろうとする時、僕らは何を探すのか?といいますとね。
正しい観点を探そうとしちゃうんですよね。

でもねー。
観点っていうのは、あくまでも観点でしかなく、よりこの観点が正しいとか、
よりこの観点の方が価値がある。
といったものではないんですよね。

スカイツリーの上から観れば、それなりの景色が現れますし、
地上に降りてみれば、それはそれで、それに合わせた景色がみえる。

観点とはそれだけのものなんです。

【正しい観点というものもない】

つまり、僕らがいくら探そうと、真実である観点というのは見つからないんです。
そもそも、正しい観点がないからなんですよね。
ですが、ついつい僕らは、今まで聞いたこと、観てきたことを観点にしちゃいがちなんです。
だからねー。
どうしても、この観点が正しいと思ってしまう時は、
これは、ネコ目線で観ても正しいのだろうか?
ってねー。
その辺を疑って観てもいいかもしれませんね。

【力を抜いてみよう】

観点に立脚し、そこから景色を見ようとするとね。
ちょっと力が入っちゃうんですよね。

観点というのは、ある種の解釈でもあります。
どう解釈するのか?でものの見方が変わってしまうということですね。

だから、観点に立脚するというのは、どの解釈を使うのか?ということでもあるんです。

でね。この解釈を使って何をするのか?というと、そこから頭の中でお話を作っていくということなんですねー。

そしてね。頭の中でお話しが展開していること。これが思考の正体なんです。

そして僕らは、まるでこの思考のお話がまるで真実の世界であるかのように錯覚をしているというわけです。

それをしている間ってね。結構、力が入っていたりするんですよね。

そして、そのお話にのめり込むほどに力も強く入ってしまいますので、
結構疲れちゃったりもするわけです。

だからね。
ちょっとどこに力が入っているのかな?ってね。確かめてみてもいいかもしれません。

確かめるだけでスーッと力は抜けていくもんです。

そして、力を抜いて、ちょっとリラックスしてみると、普段からすごい力が入ってたなーってなことも、気がつくかもしれませんよ。

 

※思い込みのクセはそれを知ることによって手放されるんですけどねー。
まーなかなか、自分だけでは難しかったりします。
そこで、タクさんセッションですよ!
というわけで、よろしくご検討くださいまし。

takuteto.hatenablog.com

 

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