Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

シンプルな世界を複雑化しているもの

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はじめに

ほーい。
おはようございます。
タクさんです。

みなさん。
今日はいい感じでしょうか?

いいに、根拠は必要ありません。
無根拠でいいし、無根拠がいいんですよねー。

もちろん、ゲームで勝つには根拠が必要ですけどねー。
ゲームを楽しむのに根拠は必要ないというわけですね。

そして、この世もまた、壮大なゲームであります。
根拠なく楽しみ、そんな楽しみの中で、根拠を練って勝つ方法を考える。

なーんか、そんな感じで楽しめたらいいですね。

この世の真相はとってもシンプルです。
シンプルさは思考を介在しません。

だから、シンプルであるこの世の真相は思考を通して掴み取ることはできないんです。

知ろう知ろうとすれば逃げていき、
もうええわー!となると、全ての真相が目の前に現れるっていうねー。
ちょっとしたジレンマがあるのもまた、
面白いところではあります。

 

シンプルな世界を複雑化していもの。

この世に複雑さは存在しておりません。
これらを複雑にしておるのは思考なんです。

この思考がシンプルでなんでもないものを複雑化しておるんです。
そして、複雑化される過程で、分離という概念が登場するというわけです。

分離とは、何かを分けて考えるという、いわゆる思考実験のようなものなんですが、
分ける際に、「良い」と「悪い」が生まれるわけですな。

そしてこの「良い」と「悪い」は、感覚としての「快」と「不快」とにリンクしていたりするので、感覚と思考がうまい具合に混ざり合い、この世のストーリー化にリアリティを演出しているわけです。

ストーリーのリアル化

思考と感覚は本来は別物なんですが、感覚を説明するために思考が使われるので、思考と感覚が一体化してしまっているんですねー。
そして、ここが一体化することで、思考で紡がれたストーリーにリアル感が演出されるんです。

そうなると、思考のストーリーの中で、何かを解決しなければならない。という思いがでてくるんです。
それがうまくいったなら、それでいいんですが、うまくいかない場合に、終わらない苦の反応が続いちゃうんです。

これは、不快な感覚を思考が解釈しストーリー化する。
そしてストーリー化したお話を自分が聞く。
聞いたことに対して、不快な感覚を抱く。

このループに入っちゃうんですよね。

このループがしんどいんですよねー。
不快感というよりも、このループがツライんです。
これがストレスの元となるわけです。

一回こっきりの不快感は単なる信号のようなものですからね。
そこに害はありません。

ですがこのループが延々と続くと、ずっと緊張感を持ったままになってしまいますのでね。
ここで、体が悲鳴を上げ始めるんですよね。

ちなみに、緊張感が悪いということではありません。
緊張と緩和のバランスが崩れるのがツラさになってくるんです。

ストーリーは複雑

ストーリーというものは、多少の複雑さがなきゃ成り立ちません。
確かに、簡単なストーリーもあるかとおもいますけどね。
この簡単なストーリーさえも、やっぱり多少の複雑さはあるんです。

一切の複雑さを取っていくと、全ての分離はなくなっていきます。

複雑さというのは、実際にあるものではなく、思考の中だけにあるイメージだということが、この複雑さのヴェールを剥がしていくことで気がつくかもしれません。

思考が沈黙したとき、ダイレクトな感覚だけが残ります。
あとはそのまんまにしておいてみるんです。

このシンプルさが、事実なんです。

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