「それ」とは何よ?
はーい。
どうもおはようございます。
タクさんです。
今日はねー。
「それ」のことについて書いてみたいと思います。
「それ」とは何よ?
ってことなんですが、これはなんでもないものなんです。
なんでもないものに名前をつけちゃうと、途端にこの名前の意味に引っ張られてしまいます。
すると途端になんでもないものは、何かになってしまうんです。
こうなってしまっては、もう「それ」は「それ」ではなくなるんです。
悟りというものは、なんでもないものへの気づきです。
一瞥体験というものは、なんでもないものを垣間見た体験です。
でも、悟りという言葉や、一瞥という体験はもう意味を持ってしまっているんですよね。その意味の中にあるものは、単なる概念でしかないんです。
「それ」は完全に言葉を超えています。
「それ」はもう完全に言葉を超えているんです。
だから、あらゆる覚者が残した言葉も、どんな先生たちの言葉も、そしてもちろんここで表現されている言葉も、「それ」を表現することはできないんですねー。
つまり、言葉の中に真実を見出そうとするのではなく、こういう言葉での表現は、だいたい半分はウソ!って思ってた方がいいかもしれません。
これは、誰かがウソをついているということではありません。
聞いた時点で、言葉を解釈した時点で、もう意味がまとわりついてしまいますのでね。
その意味は自分の中で概念化されてしまうんです。
ここが、ウソだというわけです。
だからねー。意味を探ろうとしないほうがいいんですよね。
探るのではなく、抜く
こういう文章を読んで、何かの拍子に、自分が掴んでいた何かが手放されるような感覚を感じることがあると思います。
そんな時は、その手放した時に生じる、なーんにもない空間。
この空間にリラックスしてみればいいと思うんです。
これらの文章は、そのリラックスに誘ってくれるトリガーとして利用して、そのトリガーが反応しないのなら、わざわざ言葉の中に真実を求めようとせず、ほおっておけばいいんです。
そして、トリガーが反応したのなら、これまた、表現された言葉はほおっておいて、その空間にリラックスしてみれば良いんです。
このリラックスに言葉は必要ありません。
リラックスは言葉によって成り立っているわけではなく、理屈によって成り立っているわけでもありませんからねー。
なので、このリラックスについての理屈を解き明かす必要もないんです。
「それ」は言葉の中にはありません。
僕らはついつい、理屈や理由を求めてしまいがちです。
起こってることは、理屈によって起こってる訳ではなくて、起こったことに単に後付けして理屈をくっつけてるだけなので、真実は理屈の中にはありません。
なのに、なぜか理屈の中に真実があるという勘違いがあったりするんですよね。
そして、その勘違いが、言葉で説明される理屈や理由を追い求めているんです。
「それ」は言葉の中にはありません。
という意味は、言葉を超えたさらに上位にあるもの。
言葉では説明不可能な難解なもの。
というわけではありません。
例えば、昼に食べたラーメンの味って、その時の味への気づき。
この中にしかありませんよね。
その味を説明した言葉の中にはその味はありません。
そして、それを食べた記憶の中にも、その味わいはありませんね。
その味わいはダイレクトな気づきの中にしかないわけです。
いくらそれを言葉で説明しようとも、その中に真実があるわけではありません。
それが、言葉では表現できないということなんです。
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