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非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

【嫌なことへの対処法】ポリアンナ効果とポリアンナ症候群

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はじめに

にょほほ。
おはようございます。
タクさんです。

できれば、良いことだけを感じていたい。
これって、みんなが望むことだと思います。

そりゃー、嫌なことには巻き込まれたくはないですもんね。
とはいえ、この世に嫌なことに巻き込まれない人はいません。

もうこればっかりは逃れられないんですよね。

この嫌なことは二種類あるんです。

一つは、逃げちゃダメな嫌なこと。
そして、もう一つは、手放した方がいい嫌なこと。

この二つです。

あんた、
「この世には、良いも悪いもない!」
って言ってるじゃないか!
っていう意見もあるかと思います。

もちろんその通りなんですけどね。

でもこれは、良いも悪いもない!に逃げちゃうのはちょっと違うんですよねー。
その辺のことについて今日は書いてみたいと思います。

 

ポリアンナ効果

さて、ポリアンナ物語というお話しはご存知でしょうか?
まー僕も、ハウス劇場かなんかで好きでよくみていたんですけどねー。
主人公がポリアンナという女の子でしてね。
この子が、いろんな悲劇にあっても、「良かった探し!」をして、明るく天真爛漫に逆境を乗り越えていく。
みたいな話なんです。

これはこれでとっても良い話なんです。

だからね。普段から良かったことを探してみることはとっても良いことだと思います。

そもそも僕らの頭の中で展開されるストーリーってね。
一個のテーマしか扱えないんですよね。

二つのテーマをいっぺんに扱えないんです。
であるなら、良いストーリーを展開したいじゃないですか。
そんな時に役に立つのが「良かった探し!」なんです。

しかもね。
この「良かったこと」

これはね、書いた方がいいんです。
日記みたいに。

なぜなら、僕らの脳って、
「書かれた言葉においては、ネガティブ(否定的、悲観的、後ろ向き)な言葉よりもポジティブ(肯定的、楽天的、前向き)な言葉の方が大きな影響を及ぼす」
というクセを持っているんです。
ちなみにこのクセのことを心理学用語で、「ポリアンナ効果」と言います。
もちろん、このポリアンナはポリアンナ物語からきております。

まーだから、いわゆるいい言葉とか標語をこぞってみんな額に飾ッタリしてるじゃないですか。

あれってねー。
このポリアンナ効果を狙ってのことなんです。

ポリアンナ症候群

ちなみにね。ポリアンナ効果以外にも、ポリアンナの名前を使ったある心的症状が実際にあるんですけどね。
それは、「ポリアンナ症候群」という症状です。
こちらはねー。
直面した問題のちょっとした良い面だけを見て負の側面から目そむけて、現実逃避的な自己満足に陥る心的症状ののことなんです。

このポリアンナ効果とポリアンナ症候群。
この二つは一見矛盾するように見えますよね。
「えー。良いこと探しはいいことなの?それともよくないの?」
矛盾してるジャーン!って思うかもしれませんが、そうではありません。

そもそも、負の側面。嫌なことには種類があるんですよね。
この種類に対して、「良かった探し」が効果的なものと、良かった探しが逆効果になるものがあるんです。

そして、この嫌なことには大きく分けて二種類あるんです。

嫌なことの種類

では、嫌なことにはどのような種類があるのか?
と言いますとね。

考えてもしょうがないこと。錯覚によって起こっている嫌なこと。
と、
目を背けて逃げている嫌なこと。

この二種類があるんです。

ただ、大概の場合はこの二種類が巧妙に混ざり合っている場合が多いのでなかなかややこしいんですけどね。

考えてもしょうがないことや、錯覚によって起こっている嫌なことについては、良かった探しが効果的になります。
だって、僕らは一度に1テーマしか扱えないというクセがありますのでね。
いつまでも過去にしがみ付いていても仕方がない!というのもこのパターンになります。

ただし、
逃げている嫌なことに対して「良かった探し」をしてごまかそうとしても、それは現実逃避に過ぎず、逃げれば逃げるほどに、大きくなって迫ってくるわけですね。

その場合はその根本と向き合う。つまりはまじまじとみつめてやればいいんです。

ただ、これらが混ざり合っている場合がよくあるんですよね。
例えば、嫌なことが起こる原因として、過去の記憶が影響している場合がよく在ります。しかもこの記憶は、今はもう必要のない危機感である場合が多いんですね。

その場合は、この必要のない記憶については、考えてもしょうがないことなんですが、この過去の記憶と対峙するのを逃げ続けると、いつまで経ってもその嫌なことが追ってくる!
といったパターンがあるんですねー。

その場合はちょっと絡まり合った紐を解いてやらなきゃなりません。
その時には、その思いや感覚を、観てあげることが、その紐を解くいとぐちとなるんです。観てあげることで絡まった紐は解かれるんです。

嫌なことの過大評価

「私はいない」という言葉をね。
逃避の言い訳にしたくなったりすることもあるかもしれません。
でも、「私はいない」は逃避ではなく、対峙する時に役に立つ言葉なんです。

仏教の教えでもね。
あなたのやるべきことをやりなさい。
そのためには、あなたの本来の姿を呼び戻しなさい。
といったような教えがあるんですけどねー。

これって、一見、
「〜べき」というものはない!という言葉と矛盾しそうなんですが、
本当は全然矛盾していないんですよね。

やりたいこと!の中には嫌なこともついて回ってきますのでね。

僕らはこの嫌なことを、過去の記憶や観念でものすごーく過大評価をしている節があるんです。

嫌なことが問題なのではなく、それを過大評価していることが問題となっているんですよね。

この過大評価はじっと観てやることで見破られます。

嫌なことも良いこともちゃんと起こるんです。

それは、僕らの思考の働きが、良いと悪い。快と不快。に分ける働きであるからです。

ですが、嫌なことはべつに、自分に対して殴りかかってはきません。
そんな力はないんです。

過大評価が見抜かれるほどに、その嫌なことに対峙しやすくなってきます。
また、ここが見抜かれると、自己肯定感への依存もなくなってきます。
なぜなら、そもそも、自分に足りないものなんて存在していないことが見えてくるからなんですよね。

逆にね。
嫌なことを過大評価すればするほど、自己肯定感が低くなります。

すると、外から襲ってくる(と思っている)嫌なことはものすごーく大きいものだと錯覚してしまうんです。

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