Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

人生の拠り所と自燈明(じとうみょう)

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はじめに

はいよー!
おはようございます。
タクさんです。

まー、毎日ここで、あーだこーだと語っているわけなんですけどねー。

ま、僕は宗教の話でもスピリチュアルとかいった、精神世界の話をしているつもりもありません。
そしてね。
本音で言えば別に、ジャンルとしての非二元のことをを言ってるつもりもありません。

タクさんって非二元の人ですか〜?
とか、よく聞かれるんですけどね。

非二元ってジャンルじゃないんですけど、もう今はジャンルとして認識されている節がありますからねー。
そういう意味では、僕はそういったジャンルについて語っているつもりもないんですよねー。

ジャンルとか哲学とか宗教とか。そういったものは全て二元という概念で語られているものですからね。
非二元とはそういった概念の話ではないんですよね。

ただ、これらは、あくまでも概念なんだよーっていうお話でもあるので、
もうちょっと、書いていてもややこしくなってくるんですけどね。

ま、思いとしては、当たり前のことを当たり前としてゆーておるつもりです。

この当たり前の凄さ!当たり前ってもうすでに全てが完璧であり、それでいて日常なんですよね。
何も欠けてない!ツルッツルなんです。

ツルツルだから、手をかけるところもありません。

手がかりがないから、思考や言葉で語られることはできない。
それが当たり前なんだよー。

っていうお話なんですよね。

 

ストーリーはファンタジーである。

もちろん。
ファンタジーを語ってるわけでもありません。
私は存在しませんとか、全てはもう完璧!奇跡的!それしかない!
とか言ってると、ファンタジーっぽく聞こえるかもしれませんが、
この話はファンタジーではないんです。

むしろね。
みんなのほうがファンタジーやん!って思っております。

だって、ここは地球で、僕らは日本という国に住んでいる。

っていう言葉はねぇ。
ここはシリウスという星で、僕らはこの星の中のネバーランドっていう国に住んでいるんだ!

って言ってるのと同じですからねぇ。

ただ、支持者が、沢山いるかいないか?だけの話でしてね。

指示している人の間だけで本当だとされているだけの話なんです。

地球とか日本という概念を知らない人からすれば、地球かシリウスか?というのは、
どっちもどっちなんです。
猫に聞いてみたら、みんな「にゃ????」ってなりますよ。

ただ、ファンタジーは悪いものだとは思っていません。
とっても素敵なことだと思っています。

だから、ファンタジーやないか!って揶揄するつもりも一切ありません。

むしろファンタジーをどう楽しむか?これが醍醐味だと思っております。

拠り所って大事

まーそんなわけでしてね。
思考のストーリー、二元で作られた概念はすべてファンタジーなんですよね。
そして、ファンタジーだから、確固とした土台というものがないんですよ。

つまり、何が正しくて何が間違っているのか?
その答えをファンタジーに求めてもそこに答えはないんです。

そして、その答えがないことに僕らは、なんとも頼りのない不安を覚えてしまうんです。

答えがないのならどうやって生きていけばいいの?
何を拠り所にしたらいいのー?
ってなっちゃうんですよね。

あなたにとっての拠り所

みんな。自分の人生というものを意識し出した時から、人生の答えを求める探求者となるわけです。
そして、自分なりの答えを持つわけですが、その答えが否定されてしまうと、
そこに怒りや不安が起こってくるんです。

また、その答えが頼りなくなると、より確固とした答えを求め探求を始めるわけです。
ただねー。
非二元の教えというものはその探究の答えではないんですよね。
だから、非二元の教えを拠り所にしてしまうと、その時点で非二元はある種の概念に成り下がってしまうんです。

概念とは実体のあるものじゃありませんのでね。イメージですのでそれこそいくらでも作られるわけです。
それを信じることで乗り越えようとしても、やっぱりちょっと無理があるんです。

自分を拠り所にすることで自分が輝く

そもそもね。
なんで拠り所が必要なのよ!っていうことなんですが、
それを必要としているのは思考なんです。
何を持って思考を組み立てたらいいの?
という思いが拠り所を欲しがっているんです。

それがないと思考のストーリーが組み立てられませんからね。

本来思考とはイメージだから、別になんでもいいじゃん!ってことになってしまうんですけどねー。
それだと思考は困る!と騒ぎ立てるんです。

では何を拠り所にしたらいいのか?
ってことなんですけどね。

それはもちろん。自分を拠り所にするんです。
お釈迦さんも、
「あなた自身を拠り所にしなさい。」
とおっしゃっております。

これが自燈明(じとうみょう)です。

自分自身の光を拠り所にする。

ちなみにね。思考は自分自身ではありません。
思考が困ると騒ぎ立てたとしても、その奴隷にならなくていいんです。

思考に頼らず、意味に頼らず、
ああ、こう在りたいと感じることに従う。

これが自分を拠り所にするということなんです。
そして、そうすればするほどに、自分の光が道を照らしてくれるんです。

これが自燈明(じとうみょう)なんです。

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