Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

不安をあおる者はスルーで良い!

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はじめに

はーい。
どうもおはようございます。
タクさんです。

いやねー。
皆さんは占いとか行ったりしますか?

僕ねー。
占い師さんってね。

おい!当てようとしてどーすんねん!
って思ったりするんですよねー。

ま、
普通はね。
占いの人は未来を当ててなんぼや!
ってなイメージがあると思うんですけどねー。

でも、当てようとしてどーすんねん。
それよりも励まさんかい!
ってねー。
思ったりするんですよ。

そもそもね。
占い師の仕事は励ますことやないかー!
って思ってるんですよね。

 

人生とはフルコース料理

そもそもねぇ。人生というのはねー。
フルコース料理みたいなものなんですよ。
でね。
人によっては、味の深さをもっと味わいたい!っていう人もいれば、
淡々と好きな味を味わいたいって人もいるんです。

人それぞれの気に入った味わい方を味わうのが人生だと思うんですよね。

味の深さをもっと味わいたい!ってな人の場合はねー。
甘いをもっと味わいたいのなら、酸っぱいを味わうことでもっと甘さも引き立つというわけです。
そのために酸っぱいを味わい、そのあとで甘いを味わうわけなんです。

落差が強ければ強いほど味わいは深くなりますからねー。
より深い味わいを求めた場合には、その落差を作る訳です。

サウナは水風呂が命!

っていうじゃないですか。

それと一緒でね。サウナのあと、冷たい水風呂に浸かるから気持ちいいワケです。

酸っぱさもまた人生の味

そんな人生の旅路でねー。
やっぱりその酸っぱさにつらくなる時もあるもんです。

それもまた、人生を味わうためには避けられない宿命でもあるんですよね。
だって、味がなくなったガムをずっと噛み続けるなんて、嫌ですもんね。
だったらそのガムは捨ててまた新しい味わいをあじわおうとしてしまうのも、
人生というものは、味わいを楽しむものだからこそなんです。

ただ、そんな人生の旅路でね。
慣れ親しんだ何かを捨てなきゃならない時や、ずっと続く酸っぱさにつらくなっちゃう時なんかはね。
やはり、そっと励ましてほしくなるもんじゃないですか。

そんな不安な気分の時にこそ、占い師さんが頼られる訳ですからね。
ツライからこそ頼ってきているんですからねぇ。

どんなに酸っぱくても大丈夫!

これはスピ系でも宗教でも一緒です。

そんなツライ時に励ましてあげること。
それがそれらの仕事の役割なんです。

だから、いちいち未来を当ててどうすんねん!
って話なんですよ。

そんなの一文の得にもならないんです。
「あんた、このままではもうしばらく酸っぱさを経験するよ!」
とかね。
そんなんゆーてどうすんねん!ってことなんですよ。

そういうのを空気も読まず水をさす行為なんですよ。

どんなに酸っぱくても、大丈夫なんです。

それは、ほんとーーーーに大丈夫なんです。
そのことをそっと励ましてあげるのがその人の本来の役割なんですよね。

不安な時ほどすがりたくなる

僕らは不安な時ほど、不安をあおられるとすがりたくなってくるもんです。
でも不安をあおられて、誰かにすがりつくというのはねー。
せっかくの人生の味わいを誰かに明け渡しちゃうようなものですからね。
もったいないんですよ。

不安な人に対してそれをあおって、すがらせようとするやつなんてねぇ。
せっかく最後に食べようと思ってたイチゴを横取りするようなやつなんです。

もー、極悪人でしょ!
だって、最後のイチゴなんですよ!
そりゃーあまりにも、ひどすぎますよね!

だからねー。
こいつ、やたらと不安を掻き立ててきとるなぁーって感じたならね。

「うわー。これにすがりたくなってるなんて、今、自分は不安を感じているんだ。」

「それほど、イチゴを美味しく食べたい!って思ってるんだなー。」
ってね。
その人の言葉なんてスルーして、自分の様子を観察してあげたらいいんです。

あおってくるやつはスルーが一番なんです。

あなたのイチゴを大事にしてあげてくださいね!

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