Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

矛盾する非二元について

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はじめに

はーい。
どうもおはようございます。
タクさんです。

あんたさぁ。
おはようございます!タクさんです。
って名乗ってるけどさぁ。

名乗ってるクセに

「私は存在しません!」
「全ては幻想であり妄想です。」
って言ってるのはどういうことよ??

おかしいやないかー!
矛盾してるやないかー!

ってね。
そう思う方もおられるかもしれません。

まー、この非二元の話って矛盾だらけですもんね。

今日はこの矛盾ということについて書いてみたいと思います。

 

矛盾とは

さて、矛盾とはどういうことか?
これって元々は、どんなものもつらぬく矛とどんなものも弾き返す盾。
この二つは両立しないよねー。
っていうね。
ご存知の話からきている言葉なんですけどね。

この矛盾する話を聞くと、僕らがどうにも困ってしまうので、
「こらー!話が矛盾しとるじゃないかー!」
ってなるわけです。

じゃあ、
なぜ、話が矛盾すると僕らが困ってしまうのか?
と言いますとねー。

それは話の大前提を作れないからなんです。

僕らは、話の大前提が作れないと困っちゃうんです。

なぜ矛盾を嫌がる??

なんで話の大前提が作れないと困っちゃうのか?というと、
答えが導き出されないからなんですよねー。

おーい!お前の話は矛盾してるから答えにならないぞー!

ってね。
なるわけです。
つまりね。
答えがわからないと困る!
そして、その答えとは、話の大前提がないと導き出せない!
ということになっている訳です。

つまり僕らは、何かしらの大前提をもって、
それを因数分解して、
つまりこういうことか!
ということを知りたがってるんですよねー。

だから、大前提に矛盾があると、因数分解して解答を導くことができないじゃないかー!
ってなる訳です。

ありもしない大前提にこだわるから苦悩を導く

でね。この話。
つまり非二元でもなんでも良いですけど、こういう話ってね。
大前提をつかんで、その大前提をもとに答えを導き出すということ。
これって、ぜーんぶ妄想だよ。
っていう話なんですよね。

そして、この妄想にこだわればこだわるほどに、僕らはこの妄想に絡めとられてしまい、
自由を失い、苦悩するんだよー。
っていう話なんです。

ぼくらが「わかった!そういうことか!」って思ってること。

それって、妄想なんです。

でね。

妄想というのは妄想して楽しめば良いんです。
でもね。妄想に苦しめられてるんだとすれば、その妄想はもう手放してやれば良いんじゃない?ってことなんですよね。

また僕らは、どうしても苦しみの方を優先してしまうクセがどうしてもあるものですからねー。

そうやって自分を苦しめる妄想を掴み続けるよりは、そんな妄想は手放して、もっと自分を可愛がってあげてよね!という話なんです。

それのこと

よくね。
真実を指し示す言葉として、
それのこと。
とか、
これのこと。
とか、
なんでもないもの。
って言われたりしてますよね。

これってどういうことかというと、大前提から導き出される答え。それは妄想であり、
その妄想を取り払ったときに残るものを指し示している言葉なんです。

だから、大前提は存在しませんし、いわゆる答えというものも存在しません。
この答えへの執着が溶けたときに、そこに残っているもの。

それは、「なんでもないもの」であるということなんです。

「それ」とか「これ」と言われるゆえんは、
大前提を作らない言葉を選んで表現しているということなんです。

それは、大前提を作らない。
つまり妄想を作らない。
ということなんです。

妄想に囚われるから、的外れに捉えてしまう。
ということなんです。

 

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