Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

よく頑張りました!

f:id:takuteto:20201124094812j:plain

はぁー。
どうもおはようございます。タクさんです。

先日の記事では、明日に続きます〜!
とか言っておきながら、
更新が止まっておりもうしわけございません。

というのもねー。
先日、うちの愛猫が亡くなってしまいましてねー。
ちょっと悲しみに暮れておりました。
今まで友人や身近な人がなくなった経験もあるんですが、
まー、ペットだからといって悲しみ度合いは変わらないですね。
あくまでも僕個人調べではありますが。

寂しさのテーマを書いていた矢先に、大きな寂しさを感じているっていうねー。
そんな感じなんですが、
まー、明日から復帰予定ですので楽しみにお待ちください。

 

ここ最近、うちの猫さんの調子がすごく悪くて、お医者さんにももう長くないし、手の施しようもない!と言われてしまっていたので、ある程度覚悟はしていたんですけどねー。

最後の最後はちょっとだけ元気になったあと、息を引き取りました。

まあでも、この悲しさってね。
味わってみて、やっぱり悪いものじゃないですね。

だってねー。
悲しいっていう思いは、その裏に思いっきり愛していたがあるわけですからねー。
それがなきゃ、悲しさを感じられることはできませんもんね。

そして、愛していたというのは同時に愛されていたということでもあります。

そんなことを書くと、
片思いはどうなのよー!って意見も出てくるかもしれませんが、
それはなんていうか、愛するというよりは執着のようなものですのでね。

でも、愛していると愛されるんです。

なので、悲しいということは、それだけ愛されていたんだなー。
ということでもあるので、
それはそれで、ありがたいことだなーとも思います。

よくね。
死んだ強敵(とも)は俺の中で生き続けている!
みたいなね。

北斗の拳でもそういうセリフがありますが、
僕これはホントだと思います。

そもそも、個人というのは心の中に存在しているものですからね。
体はいなくなっても、ちゃんと生き続けるんですよね。

だから、心強く感じたりもします。

とはいえねー。
ちょっと話は変わりますが、
僕、大学の時、単位がものすごーくギリギリで(高校の時もそうだったんですが)
卒業した後も、夢で、実は単位が足りなかった!みたいな夢をよくみたんですよ。

「しまった!単位が足りなかった!
あ、でも、もう就職して働いているから、今更そんなこと言われても大学側が悪い!
卒業証書もこちらの手にあるからこれで戦えるはず!」

みたいなことを夢の中で言い訳したりする。

といった夢をしばらくはみていたんですが、
今は、

朝、ぐうぐうと寝ていると、何かが触れた感覚があって、
「あ、猫が起こしに来た!きっとエサが足りなくなったんだな!」
「あれ??そういえば死んだんじゃなかったっけ?あーそっか!息を吹き返したんだ!」

みたいなね。
そんな錯覚みたいな夢をみちゃうんですよねー。

これはもうちょっとしばらく続きそうな気がしています。

ま、これも仕方がないことですよねー。
だって、それくらい大きな愛をもらったんだからね。

▼僕のfacebookページはこちら。よかったら「いいね」してね!
コメントなどでつながりましょ〜!