はじめに
職場で、たまーにエンターキーを押す音がでかい人っているじゃないですか。
僕の隣の人もそれでしてねー。
エンターキーが飛んでいくんとちゃうか?ってね。
親の仇のようにエンターキーをぶっ叩くんですが、
ちょうどねー。
ラジオのCMで、
「センパーイ。エンターキーを叩く音がでかいぃ〜」
ってセリフがあるCMがあるんですよ。
このラジオCMのおかげで、隣の人もちょっと気づいたみたいで、
エンターキーの音が少し和らぎました。
ま、最近はほとんどリモートワークなので、あまり関係なくなってきたんですけどねー。
コロちゃんがどうなろうと、このリモートワーク文化はどうか残りますように・・・。
と祈っておるタクさんです。
皆さんはどのようなエンターキーメロディを奏でてらっしゃるでしょうか?
というわけでおはようございます。
タクさんです。
唐突に脈絡のないお話ですいません。
えーっと、今日は、目覚めを目指すな!
みたいなことでお話をしていきたいと思います。
文句の付け所をさがすとキリがありません
せーかいでひとつだけの花♪
というわけでしてねー。
ま、全てはひとつながりですのでね。
ひとつなんてものもないわけですが、
そんななか、
「どうすればあの先生のようになれるんだろう?」
「どうなれば悟りと言えるんだろう??」
みたいなねー。
そんな思いがわくことってあると思うんですよね。
でもねー。
もう答えとして、あなた自身の今のあなた。
それで正解であってそれで最高であって、それで完璧なんですよね。
ただ、文句をつけようとすれば、そりゃーいくらでも出てくるわけです。
そんなもんね。
ブッダにさえ文句をつけようと思えばいくらでも出てくるわけですよ。
キリストにだって文句をつけようとしてもいくらでも湧いてきますしね。
特に自分のウィークポイントは自分が一番知っているわけですからねー。
そこに文句をつけようと思えばいくらでも出てくるんです。
完璧さとは文句に応えることではない
でもね。
完璧というのは、自分の文句を一切受け付けないような完璧さ!
ということじゃないんですよね。
そもそも、文句というものは全てただの思い込みの押しつけに過ぎません。
だから、文句に答えられたら完璧だ!というのがちょっと違うんですよね。
はたまた、
あなたが知らない何かを手に入れるということでもないんです。
どちらかというと、悟りとか目覚めなんていうものは、既に知っていることなんです。
ただ、悟りや目覚めなんてものは当たり前すぎて、退屈すぎて、
スルーしてしまっていて、それよりも刺激的なものに囲まれすぎているということなんです。
だからね。
目覚めようとしなくても良いし、悟ろうとすらしなくても良いんです。
そんな想像上の目覚めや悟りなんてものは存在しませんからねー。
既に知っていること
でも、それを知ること。これは人生の最重要課題であるとは思います。
なぜなら、人は幸せを求めるものですからね。
ただそれは、既に知っていることを改めて知るということなんです。
どんな言葉や知識や思い込み。それらを手に入れる以前から、そして今もここにある智恵。
それが、「それ」なんです。
元々ある叡智。それが智恵です。
これはいついかなる時も離れずにここにあります。
ただし、智恵とは言葉で語られませんからね。言葉で解釈しなくても良いということでもあるんです。
つまり、目覚めなんてものは目指さなくても良いんです。
えー。でもこのままじゃダメな自分のままジャーン!
って思うかもしれませんが、だったら、それでもう完璧なんですよね。
このことが腹落ちしたとき、無駄に自分を責めるエネルギーから目覚めるんです。
すると、既にここにある自分のパワーを知るんですよね。
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