Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

エゴもまた愛おしいよね

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はーい。どうもおはようございます。
タクさんです。

今日は全くの雑記です。

だらだらと思うことだけ書かせていただこうかなーって思います。

いやね。

うちで一緒に暮らしている老ネコがいるんですけどねー。
今日の記事の写真のネコがそうなんですが、
この猫ちゃんがねー。
最近になって、結構カジュアルに死のうとするんですよね。

あ、もちろんネコなんでね。
自殺をしようとしているというわけじゃないんですがねー、

なんだか、体調が悪いのか、
餌を食べたくなくなったなら、もう食べないままじっとしてたり、
体温が下がってるのに冷たいところにじっとしてたりね。

歳も歳なんだから、そんなことしてたら死んじゃうよー。
てなことを、結構カジュアルにやろうとするんですよ。

 

というわけで、
うちの猫ちゃんは最近、体力も落ちてきてカジュアルに死を受け入れているようなところがありましてねー。

僕としては心配なんですが、
まあきっと、それはそれで良いことなんだと思うんですよ。
そもそも死は忌み嫌うものではありませんからね。

死とは悪いものだ!という思いこそまさに錯覚であって、概念であり、
そもそも死は全てに訪れる素晴らしいギフトであり、
人生の最後の華でもありますからねー。

この世は常に変化するものであり、だからこそ素晴らしいものですからねー。

でも、やっぱり僕はもうちょっと許されるなら、一緒にいたいなーと思って、餌を強制的に食べさせたり、病院に連れて行ったり、薬を飲ませたりしちゃうんですよね。
これって、完全に僕のわがままなんだろうなーってね。
ちょっと感じたりしています。
あらゆるものは常に移り変わる。
だからこそ、今は愛おしいものであって、どんな瞬間もかけがえのない奇跡であるわけですもんね。

もしも気に入った今をずっと掴んでいられるのだとすれば、その今はすぐに色あせてしまいますもんえ。

常に今が変化するからこそ、奇跡に満ち溢れているわけであって、
その素敵な今をつかもうとしたくもなるわけですが、状態を保とうとすればそれは必ず裏切られるわけです。
でもそれでも、良い状態と保ちたいと願う思い。
この思いが、今ここにある愛おしさをより光り輝かせているということもあるんですよね。
だからこそ、この無謀な願いもまたかけがえのない真摯で素敵な思いだと思うんですよ。
これらの思いを、エゴだー!自我だー!カルマだー!煩悩だー!といって、手放すのではなく、いやー素敵なシステムだな!ということでね。抱きしめてあげたら良いと思うんですよね。

だから、手放せない自分というのはとっても愛おしい存在なんですよね。

だからこそ、今は光り輝くわけです。
というわけで、今日も嫌がっていることは重々わかりつつも、うちの猫ちゃんには薬を飲んでもらっております。

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