Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

無垢な自分の受け入れ

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はじめに

ふぁ〜い。
どうもおっはようございやす!
タクさんでございます。

なんだか、2年前に引越ししたんですが、
またそろそろ引越ししそうな感じになっておりまして、
面倒くさいなぁ〜って思っております。

でね。
2年前に引っ越した時に、段ボールから出してないものも結構あるんですよねー。
これって、本当は捨てていいものなんだと思うんですが、
きっと箱を開けると、
「あ、これは持っていこう!」
ってなっちゃうんだろうな〜。

って思っております。

まーねー。
今日もこうやってわかったふうなことを書いているわけなんですけどね。
でもこれって、何かがわかったよ!ということを言ってるんじゃないんですよねー。

わからん!それが正解なのじゃ!

っていうことを書いておるわけです。

だからねー。
みんながわからない何かをわかっている!
ということじゃなくて、
わからないでいいということを知った!
ということなんです。

そして、自分が変わった!というよりは、
変わらなくていいということを知ったということなんですよねー。

でね。

ホントの意味で自分を受け入れられるって感じなんですよね。

まー、ウソの自分なんてものもないわけですが、解釈に逃げなくても良いわけです。

変わるというよりは元に戻るということなんですね。
元とはどの元なのか?というと、言葉であれこれ世界を作る以前の元です。
そして、その元ってずーっとここにあるんですよね。

 

何が間違っていて何が正解ということもありません。

何が間違っていて何が正解ということもありません。
正解へのこだわりが、変な方向に探求を向かわしていたっていうことなんです。
だーれも悟っていないし、悟った自分というのもまた一つの物語でしてね。
そんなんもないんですけどねー。
ただ、そう聞くと、
「あー、じゃあ自分が思っていることとは違うのかー。」
ってね。
思っちゃうかもしれませんけどねー。
でも、そうじゃないんですよ。
違うとか正解とか、そういうんじゃないんです。
すると、変な方向すらなかったということになるんです。
許されるんですよねー。

あれもこれも違う、違う違う違う!ってねー。
そういう表現をする人もおられるかもしれませんが、
その人の表現もこれまた正解だというわけじゃないんですよね。
このオバハンは違う違うと鳴く鳥みたいだなーってなことでね。
それを自分への否定に繋げなくてもいいんですよね。

無垢な自分の受け入れ

これってね。
無垢な自分の受け入れなんですよね。
そして、それが救いなんです。
これは、正解を言ってるんじゃないですよ。
正解と間違いなんてものがないんですよね。

だから、探すものなんてないんです。

探さなければここにあるんです。
全部ね。

「あー、気分がムカムカするから、まだ至ってないんだわ。。。」
みたいなことでもないんです。

どんな自分でも良いじゃん。否定ってただのレッテルで真実じゃないよ〜。
ってことなんです。

ちっちゃな子どもって誰も自分を否定してないじゃないですか。

ミミズだってオケラ(オケラって何??)だって、アメンボだって、
みんなみんな生きているし、誰も自分を否定してませんよね。

正解と間違いなんていう錯覚が起こす夢みたいなものなんですよ。

そして、生きているということに境界なんてないんです。

 

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