Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

意味デトックスのススメ

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はじめに

ほーい。
おはようございます。
タクさんです。

いやー。
最近のゲームって複雑ですが、
ゲームというのは、基本的には目的が定められております。
そして、この目的を達成するとクリアとなるわけです。

この目的の難易度とクリアの達成感のあんばいがゲームを楽しむ醍醐味となってくるわけですねー。

つまりねー。
僕らは、目的をクリアすることに快感を覚えている。
目的をクリアすることは気持ちいい!

ということですね。

どうも、そういうふうに出来ているらしいです。

これってねー。
なんていうか、生きるを楽しむためのスパイスだと思うんですよ。
ギフトと言ってもいいかもしれませんねー。

つまり、ただ生きるだけ。
これだけでも十分いいんですが、おまけでこういうスパイス、ゲーム要素もつけますよー!
ということなんですよね。

つまりね。
目的をクリアして気持ち良くなる!というのは、あくまでもおまけであり、スパイスなんです。

 

おまけの肥大化

おまけってねー。
なんか嬉しいものですよね。
ですが、時としてこのおまけが本体の存在感を超えてしまうことってありますよね。

例えば、僕が子供の頃でいうと、プロ野球カードやビックリマンチョコのシールがそうです。
あとは、チョコエッグとかいうおまけ付きのお菓子も流行りましたが、これもねー。
お菓子のチョコレートは申し訳程度で、オマケのクオリティーがすごい!ってやつでした。

まー、こういったおまけの肥大化なんですけどね。

これがいわゆる人生というか、生きるということでも起きとるんではないか?
って思うんですよねー。

生きてるだけで丸儲け

もうね。
生まれて、そして今生きてる。
これだけで、僕らは完全なわけです。
そこに、意味も目的も必要ありません。
ただ、在る。
これで完璧なんです。
でも、目的をクリアしたら気持ちええで!
というオマケがついているんですよねー。

これは、お得ですよね。

完璧な上にオマケがついているんです。

だからオマケはオマケとして楽しめばいいだけなんですよね。

人生のおまけの肥大化

でもいつしか僕らはこのオマケで遊んでいるうちに、夢中になっちゃって、ついつい
プロ野球カードやビックリマンチョコのシールのように、
オマケの価値が肥大化しちゃってたりするんですよね。

しかも、カードやシールのようにモノとして存在するのならまだしも、
思い込みの中、イメージの中だけの実体のないものに価値をつけちゃってるんですよね。

その価値が、いわゆる意味づけです。

意味というのは、元々は何かの単なる説明でしかないんですが、
目的をクリアするという遊びに興じるうちに、
この目的のクリアに沿う行動こそが意味のある行動であり、
なんの目的もない行動が意味のない行動であるといった感覚になり、

そして、この意味のない行動には価値がない。
みたいなねー。
そんな錯覚を感じちゃったりするんですよね。

この錯覚こそ、おまけを本筋のように取り違えてしまうという錯覚であり、
まー、本質から的を外している。
つまりは的外れなんですよね。

意味デトックスのススメ

この的外れな錯覚が極まってくると、
どんどん意味へのこだわりが強くなってくるんですよねー。

そして、意味のないことをしている自分を罰したりもするし、
意味があると意味がないの比較にハマりまくってしまうんです。

するとねー。
本来オマケの楽しいゲームが苦しみのように感じてしまったりもするんですよねー。

そんな意味への依存症が強くなっているなーって感じる場合はね。
意味デトックスをしてみることをおススメします。

なんやねん?意味デトックスって?

と言いますとね。
それは、無意味なことをしてみる。無意味なことに慣れてみる。
ということなんです。

こんなことしても意味ないからなーなんて思うことをやってみることですねー。
そして、時間を埋めるために何かしなきゃ!みたいな衝動をおいておくっていうことです。

この意味デトックスをすることで、
本来、意味とは従うものではなく、
遊ぶものである。
ということを思い出してくるかもしれませんよー!

 

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