Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

「なんでもないもの」を味わい尽くす

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はじめに

ほーい。
おはようございます。
タクさんです。

ひょえー。
ということでしてねー。

なんやかんやで忙しくさせてもらっております。
とはいえね。

バタバタと動き回ってるんじゃなくて、
ずーっと椅子にすわって画面とにらめっこしてるだけなんですけどね。
はたから見たら、ヒマなやつって感じなんでしょうねー。

さてさて、
名前ってあるじゃないですか。
僕はちょっと人の名前を覚えるのがとっても苦手だったりするんですが、
この名前ってねー。
なんかすごいと思うんですよ。

人間以外で、何かに名前をつけるなんてことをしている生き物っていないと思うんですよね。
いや、確かに、「銀牙ー流れ星 銀」という漫画を読んでますと、
犬同士が、名前で呼び合ってますけどね。
なんで人がつけた名前を犬が認知して呼んでるんだ?という不思議な面はありますが、
まー、それは漫画の話であってね。

あらゆるものに名前をつけるっていうのはねー。
きっと人間しかやってないと思うんですよね。

そしてそれって、とっても切実な愛なんだと思うですよ。

 

名前というレッテル

ま、僕は普段、名前というレッテルを貼ることによって、
それそのものを一つの塊にしてしまっていて、
そのせいで、それそのものを見失っている。
みたいなねー。
そんなことを書いております。

例えば、雲。
この雲ってどれをとっても同じ雲なんて存在しないんですけどね。
でも、あの現象をひとまとめで雲と呼ぶことによって、

なんかイメージの世界に逃げ込むといいますか、
目の前のものを、今まで見たり聞いたりしたイメージに置き換えてるんですよ。
みたいなねー。
そういうことを書いているわけですがね。

だから、いったんレッテルや名前を一切置いておいてね。
目の前の真実だけを観てみましょう!的なね。
そういうことも書いているわけですがねー。

それはそれで、まあいいと思うんですけどね。

今一度、この名前をつけるというねー。
なんていうか、この行為の切実な愛情。
このことも思い出して欲しいんですよね。

名前をつけるのは愛情の現れ

そもそもあらゆるものに名前をつけるってね。
これって、ものすごーく愛情深い行為だと思いません?

ただのなんでもないこの世界を、
名前をつけることによって、特別なものにしているんですよ。

これって、イメージのスパイスをふりかけることで、
目の前の世界をものすごく切実に愛していて、
それを吸収している。
楽しんでいる。

そうとも言えると思うんですよね。

ほら。
星の王子様でもチューリップだっけ?なんかお花に名前をつけることによって、
初めて自分にとって特別な存在になるんだ!
みたいな一節があるじゃないですか。

調べずにうろ覚えで書いてますので、詳細の部分は違うかもしれませんが。

ストーリーの全ては素敵なストーリー

だからねー。
目の前の真実は確かに、「なんでもないもの」なんですけどね。
この「なんでもないもの」に切実に向かい合うという思い。
これが名前をつける。レッテルを貼る。
ということでもあると思うんですよね。

だから、レッテルというのは、一概に手放さなければならないもの!
みたいにね。
悪者扱いされるものでもないんです。

「なんでもないもの」を余さず味わおうとしている切実さ。
愛情深さ。
これが、レッテルの裏には隠れているんです。

このレッテルから発展して、分離の中で苦を味わうのも、
その奥には、そんな切実さが隠れているんですよねー。

だから、ホント、何も悪いことはないんですよ。
一度、これはレッテルだったんだということを思い返すことによって、
初めて、この世界を観たときに切実さを思い出すんです。

この切実さは世界に向けられているのと同時に、自身にも向けられているんですよねー。

ホント、ストーリーの全ては素敵なストーリーなんです。

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