はじめに
「クセが強いんじゃ〜。」
ということで、
おはようございます。
タクさんです。
なくて七癖あって四十八癖。
ってな言葉もありますがねー。
癖がないと思っていても7つはあるというわけです。
まあ、人には必ずクセってあるんですよね。
ただクセって自分では自覚してないものなんですよねー。
だから、自分が認識しているクセの裏にはものすごーい数のクセがあるもんです。
そして、気づいていないクセって指摘されても、
「そんなことないよー!」
ってね。
否定しちゃうくらい、ないと思ってたりするわけです。
皆さんはどんなクセをお持ちでしょうか?
ちなみに、僕は、髪の毛のクセが強いです。
物事をとらえる時のクセ
クセというのは、生まれつきの性質もありますが、
育ってきた環境も影響します。
育ってきた環境っていうのは、何を教わってきたか?何を体験したか?
ということにもなったりするわけですが、
そこで、
夏がだめだったり、セロリが好きだったりってねー。
クセの趣向が変わるというわけですね。
そして、このクセが心や目の前の現実の捉えかたにも多大な影響を与えるというわけです。
僕らは目の前の現実をとらえる際には、このクセを通してみるということになります。
四苦八苦
さてさて、
人の苦しみには、四苦八苦があると言われています。
四苦八苦の苦しみとは、
生まれる苦しみ。老いる苦しみ。
病気になる苦しみと、死ぬ苦しみ。
この4つに、
愛する人と別れること。
いやーな人と一緒にいること。
欲しいものが手に入らないこと。
そして、体や心が思い通りにならないこと。
この四つをプラスして八苦となる。
ということなんですがねー。
逆にこの苦がなけりゃ、僕らは幸せポンッ!ということで、
悩みなく生きることができるということになります。
でねー。
これらの苦というものも、持っているクセが大元の原因となっているんですよねー。
正しく観る
ではなぜ、クセが原因になるのかというと、
このクセのせいで、正しく観ることができていないから。
ということになるんです。
正しく世界を見なさい。
正しくものを見なさい。
そうじゃないと、苦を生み出してしまう。
っていうことなんですよね。
ちなみに、クセが強ければ強いほど、苦もまた、強く作用します。
このクセへのこだわり。これが執着なんです。
逆にいうと正しくものを観たならば、苦は存在しない。
ということにもなりますよね。
だったら、正しくものを捉えたいです!
って思うものなんですが、
ここで僕らは大きなジレンマにぶち当たるんです。
何かを捉えるならクセが必要
なぜ、正しくものを捉えようとしたならば、大きなジレンマにぶち当たるのかと言いますと、
僕らが目の前の世界を捉えようとしたら、
必ずクセを通して捉える必要があるからなんです。
そうしないと世界は捉えられないんですよね。
だから、世界を捉えるからには、どうしてもクセが必要だし、
クセが必要だというからには、必ず苦の因子が含まれてしまうというジレンマがあるんです。
だから、正しく世界を捉えるというのは不可能なんです。
正しさを知るということ。
では、正しくものを観るとはどういうことなの??
と言いますとね。
今捉えている世界は、クセを通して捉えたものである。
ということを知るということなんですよね。
僕らは、ものを捉える時、
目の前の世界を、架空のワクで区切ったり、
似ているものをひとまとめにしたり、
これとあれとを分別したり、
良いと悪いに分けたり、
さらには、あるとないを作ったりしているんです。
この際の分け方にクセが影響するわけですが、
原初のクセは、分けるということになるんです。
僕らは、正しくはないものの分け方で、世界をわけているんだ。
というねー。
このことを正しく知るということ。
これが、正しく観るということの出発点であり、
また、ゴールになるんです。
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