Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

注目されるものは極端なもの

f:id:takuteto:20201014204816j:plain

はじめに

はーい。
どうもおはようございます。
タクさんです。

ちょっと寒くなってまいりました。
みなさん、ご機嫌いかがでしょうか?

さてさて、

世の中には、
上を向いていたら、きっと希望は叶う!
努力は裏切らない!

みたいなお話ってよくあるじゃないですか。

そういう話ってやっぱり注目されますよね。

いやー。そこそこ頑張ったんだけどねー。
係長くらいにはなれたよー。

みたいな話って、別にあんまり注目されませんもんねぇ。

まーなので、
かなり努力した人の話とか、
うまくいかなかったけど、最後にはうまくいったー!
みたいなね。
ちょっと稀有な例の人の話ばかりが注目されるわけです。

まー、努力したっていうよりは、
偏愛ですよね。
めっちゃ好きだから、オタクだからやれた。
ってことなんでしょうけどねー。

逆にいうと、
僕らが目にする情報って、稀有な例ばかりになってしまう。
という側面もあるんですよねー。

 

注目されるものは極端なもの

しかもね。
ずっと注目されてる人って少ないじゃないですか。
中にはそういう化物みたいなすごい人もいますけどね。
大体はその時注目されて、そのうち忘れ去られていってますよね。

注目されては落ち着いて、また注目されて、落ち着いて。
という人もいます。

でもやっぱり、僕らが目にする情報としては、
その時に注目されている人や情報が目に入ってくるというわけです。

つまりね。
僕らが目にする情報って、極端なものが多いんですよね。

今だけ極端なものと比較しても仕方ないよね

すごい人も極端だし、悪いニュースも極端。
天変地異にしてもやっぱり目にするのは極端なものなんです。
実際の僕らの周りにはそれほど極端なものはありません。
ですが、目にするものがあまりに極端なので、
ついついものすごく悪いことばっかりが起こっているように思えたり、
はたまた、今だけすごい人とばかり自分を比べたりしちゃうんです。
それでねー。
ついつい自分のペースが乱されたり、
自分は何にもできないなー。ってね、
妙な比較に伴って自分を卑下しちゃうなんてことも起こっちゃうわけですねー。

普通という幻想

そもそも自分と他人を比べるのって、百害あって一利なしですからね。
キリンを見て首の長さの足りない自分を蔑んでも仕方のないことです。

また、ついでですが、
僕らがついつい比較しちゃうことの一つに普通とか平均というものがありますが、
これも幻想です。
世の中に平均というものや普通というものはありません。
平均というのは、特別に高い点と特別に低い点の真ん中を取ったものですからね。
世の中の平均なんて存在しないんです。

数字上にしか平均や普通というものはありません。

僕らは普段から比較によって自分の足りないものに注目しちゃいがちですからねー。
逆に自分の良いところはけっこう当たり前のこととして注目していなかったりもします。

なので、注目している足りない部分をついつい他と比較してしまうクセもあったりします。

すると、別に悪くない自分をどんどん責めることにもなっちゃうんですよねー。

なので、自分は普通ですらない。劣っている。
とね。

一部分だけをを摘み上げて、自分の足りないを証明しようとすらしちゃうんです。
これもまた、幻想によって苦を作り上げている一例なんですよね。

ま、あれこれと自分(としているもの)と何かを比較するよりも、
自分に心地の良いペースというものが、どういうペースなのかを探ってみて、
このペースをつかめば良いんです。

 この心地よさがあなたらしさなんです。

 

takuteto.hatenablog.com

 

▼僕のfacebookページはこちら。よかったら「いいね」してね!
コメントなどでつながりましょ〜!