Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

いまを生きる!

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今日のテーマは「いまを生きる」

はーい。
おはようございます。
タクさんです。

みなさん!今日も今を生きてらっしゃいますでしょうか?
今を生きていない方!
おられましたら、怖いです。
なぜなら、だれも「今」から逃れられないんですもんね。

きっと「今」を生きていないと感じているこの感じは、
錯覚以外の何物でもありません。

そういえば、
「いまを生きる」という映画がありましたよねー。
話の内容はさっぱり忘れちゃいましたが、いい映画だったことだけは覚えています。
ロビン・ウィリアムズさんが主演でしたよね。

あともう一つロビン・ウィリアムズさんの映画で
「グッド・ウィル・ハンティング」というのもあって、
これもいい映画だったんですけどねー。
これまた、話の内容は忘れちゃったんですが、「いまを生きる」と
記憶が被ってるんですよね。

同じようなストーリーだったんじゃなかろうか?
そんな気もします。

また、ヒマがあれば、改めて観てみたいと思います。

というわけで、今日は「いまを生きる!」について書いてみたいと思います。

 

みんな「今」を生きている

みーんな頭の中で何を考えていようと、
どんな現実をイメージしていようとも、「今」を生きているんですよね。
そして、この「今」からは誰も逃れられないんです。
ですが僕らは考えの中、考えのストーリーを生きているように感じています。
だから、もうガンガンみてるくせにこの目の前の「今」を見逃しているんですよね。
そして、どうしたら「今」を生きられるんだろう?
って悩んだりするわけです。
ですが、考えは「今」を捉えられませんのでねー。
考えのストーリーを生きているという錯覚が続く限り、
「今」を見逃し続けているっていうね。
そんなジレンマがあるわけです。

「今」には後悔も失敗も無い!

「今」には後悔も失敗もありません。
だから、あなたには何の失敗もないですし、
そもそも、あなたに足りないものなんてものもあるはずがないんです。
考えの中には個別性という概念が大前提になっちゃっておりますが、
個別というものだって無いんです。

ちなみにね。言葉というのは、本来はない個別性を作り上げるものです。
なので、言葉で世界は捉えられないんです。
世界を別のものにするのが言葉なんです。

「今」を過去の知識で置き換える

僕らは過去の知識と個別性という概念を使って、「今」の世界を置き換えます。
そして、置き換えられた世界を掴み取るんです。

この世界観はあなたが常に、そうみなさないと始まりません。

そうみなさないと始まらない。

ってねぇ。
ちょっとややこしい言い方ですが、みなすとは、そう判断するということです。
この判断は、毎回、毎回、毎瞬、毎瞬繰り返し行われているんです。

これらはいわゆる行為です。この行為が起こって初めて現実というものが存在するんです。この行為が起こっていないときには、現実というものは消えて無くなっています。

世界が外からあなたに向かって降りかかってきているわけではありません。
常にあなたが解釈という働きを繰り返しているんです。

ここが習慣化されているから、気づいていないだけなんですよね。

まるで、自分が走っているのに、走っていることを忘れている。
そんな感じです。

だからまずは、自分が走っていること。ここに気づかないと始まらないんですよねー。

自分の解釈を知る。そしてそれを直そうとしない。

だから、自分はどういう解釈をつかって世界を書き換えているのか?
ここをみてやればいいんですけどね。
でも僕らはついつい、この解釈が間違っているんだ!とおもって、
どう直せばいいんだろう?と直そうとしちゃうんですよね。

でもそんなの直さなくていいんです。
これを直したり、解釈を書き換えたとしても、
結局「今」を書き換えるクセは変わりません。

これを解釈なんだ!と知ること。
そして、解釈に頼らなくても大丈夫だということ。

ここを何度でも体験してみれば良いんです。
ま、体験というと、今までと違う何かなのか?
って思っちゃうかも知れませんけどねー。
そうじゃなくて、この体験はもう既にしているんですけどね。
それにものすごいスパイスをかけて、別物の味にしてるだけですから、
このスパイスをやめたら、実はめっちゃ美味しいんだよ!
ということを発見してみるって感じです。

 

takuteto.hatenablog.com

 

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