Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

やさしいあなたへ

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はじめに

はい。
おはようございます。
タクさんです。

有名な殺人拳法でね。
南斗聖拳というものがございまして。
この南斗聖拳の使い手の中でも最強でトップに君臨する、サウザーという方がおられたんですけどねー。

彼は最強であると同時に、自分の優しさ、そして愛に苦しめられた人でもありました。
この苦しみから逃れるために、自分の中から優しさや愛を排除しようと苦心した人生でもあったわけですが、そんな彼もやはり、自身の優しさや愛を排除することはできなかったんですね。
最後は、その愛に包まれながら亡くなったので、ま、それで良かったわけです。

結局、彼の優しさや愛は才能であり、自身の才能というのは時として排除したくなるものでもあるんですよね。

僕らは才能を持っているが故に、何かしら気になることが目についてしまうわけです。

サウザーさんに関しては、北斗の拳という書物に詳しく描かれておりますので、
興味のある方は読んでみられては良いかと思います。

「愛ゆえに人は苦しむのだー!」ってね。
ゆーてはりますから。

チャームポイントはおでこのホクロです。

ま、このブログを読んでくださっている方もねー。
優しい方が多いと思うんですよ。

そして、その優しさ故に苦しんでおられる方も多いんじゃないかなー。
なんて思います。
今日はその辺のことをテーマに書いてみたいと思います。

 

特に人の感情や感覚をダイレクトに受け取ってしまう方が多い

まーねー。優しい人にもいろんな種類があるわけですが、
その一つとして、人の感情や感覚をとっても受け取りやすいタイプの人がいるんですよねー。
そういう人ってね。受け取りやすいだけじゃなく、
その感覚を、自分の領域にも入れてしまうんですよね。
なんていうか、自分の感覚よりも、他人の感覚を優先させちゃうっていうかねー。
「あ、あの人怒ってるんじゃないだろうか?」
なんて思った時にね
あの人を怒らせたのはワタシに原因があるのかな?
ワタシが何かしてあげられなかったのかな?
みたいにねー。
自分のせいにしちゃうというか。
他人の感情にさえ、自分の責任にしちゃうっていうねー。
もうお人好しでもあるんですが、結局優しいんですよねー。
そして、この感覚に自分が苦しめられちゃうっていう方って多いんですよね。

この特性は変えられない

で、その感覚に苦しんでしまうので、そんな自分を変えたい。
って思ったりするわけなんですが、これって、別にあなたの特性がわるいわけじゃないんですよねー。
人の感覚を感じやすいというのは、才能なんです。
とっても繊細な部分まで感じ取れるというのは、良いことであるはずなんです。
ただ、自分よりも他人を優先しちゃう。
他人にさえ自分の責任を持ってきてしまう。
ここに苦しみの原因があるんです。

自分の領域をしっかりと持つこと明け渡さないこと

この苦しみはあなたが優しいということであり、あなたに非があるわけではありませんからね。
ただ、あなたの優しさが、時に自分への卑下にもなってしまい、
そして、自分に対して何かが足りないという思いにもなってしまうっていうね。
なんにもねー。あなたの領域にまで他人の感覚を入れなくて良いんです。
自分は自分のままで良いんです。

最初に自分を愛でること

ま、そんなわけで、色々書きましたが、
あなたはあなたのまんまでオッケー!だということです。
自分を卑下しちゃう自分もオッケーですし、足りないと思ってしまう自分もオッケーなんです。
これらの自分は、本当は自分ではありません。
単にそういう解釈が起こっているだけなんです。
この解釈は嘘なんではないか?と思うかもしれませんが、
解釈も解釈として起こってオッケーなんです。
そんな、まんま起こっている全てを、まんま観ていると、
全ては愛らしく起こっているんですね。

それを愛でること。できることはこれくらいしかないんですよね。
そして、それすらも実は誰もやっていないっていうね。

ややこしいですね。
この辺のこともまた詳しく書きますね。

では、また明日。

 

takuteto.hatenablog.com

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