Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

幸せというものは、状態には存在しないんです。

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はじめに

むはっ!
昨日、久しぶりに、ニンニクたっぷりラーメンを食べて、
ホクホク幸せなタクさんです。

みなさん。
おはようございます。

みなさんは、何ラーメンがお好きですか??

いやー、にしてもラーメンの進化はすごいですよね。
僕が小学生の頃は、こんなにラーメンのジャンルってなくて、
その辺の小さな中華料理屋さんの中華そばか、サッポロ一番か、カップラーメン。
これくらいしか選択肢がなかったような気がするんですけどねー。

まあでも、
ラーメンを楽しめるのもやっぱりお腹がいっぱいになるまでしかございませんでして。
今日は10杯楽しむゾッ!なんてことはできないわけでしてねー。

ま、そんなもんですよね。
大人になって自由にラーメンを食べられるようになろうが、
大金持ちになろうが、大統領に就任しようが、
胃袋が大きくなるわけでもないわけでございます。

温泉に浸かってリラックスゥ〜っていうのも、ずっとはできませんもんね。
しばらく入ってたら、今度は温泉の中が地獄になって、早く出たくなってくるわけです。

まるで、永久機関のように、素晴らしい状態を保っていたいー!
っていうのがねー。
僕ら人間の望みなのかもしれませんが、それって仕組み上、無理なことなんですよね〜。
なので、こうなったら幸せというものは、この世には存在しないわけです。

ということはですねぇ。
幸せというのは、状態ではない。
ということも言えちゃいます。

状態で幸せなのは最初だけで、しばらくすると苦痛に変わる。
これが、まさに
「温泉は最初だけ気持ちいい!」
「ビールは1杯目の旨さを2杯目では味わえない!」
の法則となります。

ま、つまりは、一定の状態なんてものは存在しないということでもあるわけです。

 

叶うことがない幸せな状態

まあ僕らは、何かの状態を望むとき、その状態は今は持っていないと感じているわけですね。
そして、その状態こそに幸せがあるんだっ!という思い込みが強けりゃ強いほど、
今に満足できなくなっちゃうことになります。
だって、状態の中の幸せはすぐに消え去ってしまいますからねー。
となると、次の状態を求めるわけで、そうなると今の状態は何か足りないものになってしまいます。

いやー。
ぼくもねー。
いい感じの髪の長さになったなら、ずっとこの状態で止まってくれればいいのに。
ってねー。
思ったもんですよ。
でも、そうはならないんですよねー。

全ては常に変化する

全ては常に移り変わります。
そして、この移り変わりの中に一定の状態を求める。
これがねー。
どうにも、思考の錯覚によるものなんですよね。
なぜなら、思考というのは、常に移り変わるものを捉えられないからです。
思考の中にある理屈は止まったもの。一定の状態のものしかありません。
なので、思考を通して掴み取った世界は、まるで真実を捉えられていないものになってしまうんです。

思考の中に作られる仮の「私」

そして、常に移り変わる全ての中、一定の止まった状態を求めることで、
実は苦を演出しているんです。
とはいえねー。
思考はそういう仕組みのものですので、ここで、思考を変えようとしたところでそれもまた無理ゲーなんですよねー。
ですが、言い換えると、思考の中にしか苦は存在しないということでもあるんです。
そしてね。
思考は「私」ではありません。
ただ、思考の演出の中に、仮の「私」が作られているだけなんです。

そして、その思考の中には、一見、主体と対象に分かれているように見えますが、
それは、何かをとらえるために、仮にそうしているだけであって、
実はどちらも対象なんですよね。

うはっ!どっちも対象ということは、ここに「私」いないじゃん!

ってことなんです。

 

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