Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

心の毒を解き放つ02

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なぜ起こってないことに危機を感じるのか?

はい。
おはようございます。
タクさんです。
では早速、昨日の記事の続きを進めさせてもらいますねー。

もし、昨日の記事を読んでいらっしゃらない方は、
こちらから読んでいただくといいと思います。

takuteto.hatenablog.com

さて、
では、なぜ起こっていないことを危機として捉えるのか?の続きから始めさせていただきます。
ではなぜなのか?といいますと、
これがいわゆる「観念」というものの特性のようなものなんです。
「観念」とは、この世界のとらえ方のレシピのようなものです。

コレは良い。コレは悪い。
コレは正解。コレは間違い。
こちらが安全。あっちは危険。
あれは本当。これはウソ。

みたいな感じでね。
観念はだいたい、ネガティブとポジティブの分岐点となる条件付けによって構成されています。

これらの観念は、過去には役に立ったものでもあるんですよね。
なので、大事に記憶に収められているんです。

そして、似たような場面に出くわすとこの観念を使って対処しようとするわけなんですけどね。
これがうまくいかない場合に、延々と不快感を感じ続けるハメになってしまうんですねー。

観念とは簡単に言えば、「〜であるべき!」といったような思い込みです。
思い込みなので、真実とはちょっと違うんですよね。
なので、起こってないことを起こっていると思い込んじゃうわけです。

 

〜べきはついつい量産されてしまいます。

僕らってね。何かうまいこといかないことがあると、
何が間違ってるんだろう?
どうするべきなんだろう?

ってねー。
考えがちなんですよね。

なので、僕らの探究というのは、「どうあるべきなのか?」ということを探す旅でもあるんです。
そうやって、たくさんの「〜べき」コレクションが始まるわけですねー。

そして、この「〜べき」をたくさんコレクションすればするほど、この条件に合わないことに遭遇する確率もまた上がってしまうんです。

となると、起こってはいけないことが起こっている!!!

みたいなね。そんな錯覚を多く感じてしまうんですねー。

そしてね。
そういう思い込みは、極端な話、死の恐怖として演出されてしまうんです。
こうなっちゃいますと、体はなんとかこの危機感に対応する準備を始めます。

危機が目の前にある時と同じ状態

そうして体は危機が起こっていると判断するわけですので、
危機に対応することを最優先するわけです。
本当に地震や火事やオヤジなんかの危機が起きているときって、
ノンキにご飯食べたり、すやすやと寝たりできませんよね。

ま、親父は知りませんけどね。

それと一緒で、
なかなか寝付けなかったり、ご飯も喉を通らなかったりするのも、
心と体が危機が起こっていると錯覚しているからなんです。
これこそが、まさに心の毒になるという所以なんです。
この心の毒は同時に体も蝕んじゃうわけですねー。

心の毒を制するには

さて、そんな心の毒を制するにはどうしたら良いのか?
という話なんですが、これはもうこの毒が発生したなら、即座にそのことを許しちゃうことなんです。
「お!心の毒発生中!!!」
「うはっっw!わい、今こころから毒がでておる(笑)」
みたいな感じでね。
「あっても別に良いしっ!」
ってね。
もうこの毒にツッコミを入れてあげると良いんです。

もっと踏み込んで、そんな心の毒に対して、
ありがとねー!って感謝してあげても良いかもしれません。

実はコレこそが、この毒を制する最適解なんです。

理屈で考えると、毒があることを許したらダメじゃん!
ずっと毒が悪さするじゃん!

って思いがちなんですが、ここはむしろ逆なんですよね。

あっても良いよ!オッケー!!ってね。
なんか恐怖感が起こってるけど、それもまた、味よねー♪

ってね。感謝と親しみの気持ちで声がけしてあげると、
もうこの心の毒は起こっては消えていってくれるんです。

もちろん、今後も危機感は起こりますが、実はこの危機感が毒化するのは、
この危機感をむやみに維持することによって毒化するわけですのでね。

単に起こる危機感は、単なるアドバイスと同じなんです。

なので、本当の危機ではないんです。
それほど本気にしなくて良いんですよねー。

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