Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

正しさと間違いと好きと嫌い

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はじめに

にょほほ。
おはようございます。
タクさんです。

みなさん、面白おかしくやってますか?
踊る阿呆に見る阿呆、どっちも阿呆でそれでいい!

っていうことでねー。

今日もやらせてもらってるんですけどね。

僕らってねー。
どうしてもついつい、正しさ!というものに惹かれちゃったりしますよね。
正しくあれば、間違いは起こらない。
みたいなね。
そういう信仰があったりするんです。
ま、これも信仰なので、ホントじゃないんですけどね〜。

でもその信仰のせいで、
ぼくらは、何が正しいのか?ということをついつい知りたがるんです。

でもねー。そもそも正しさなんていうのは、ないんですよね。

好き嫌いならあります。
僕は、トマトジュースがどうしても苦手です。
でも、トマトジュースが間違いだとは思いません。

トマトジュースが好きな人のことをなんとも思いませんからね。

また僕は、チョコレートが好きですが、チョコレートのことを嫌いだという人のことも、
なんとも思いません。

「そーなんやー!嫌いなんやねー!」

で終わりですからね。

チョコレートが好きも素敵!嫌いも素敵!
っていうわけです。

ホント、あるのはそういった好き嫌いだけなんですよねー!

 

好き嫌いで生きてりゃ良い

ま、だからね。
生きるのも好き嫌いで生きてりゃ良いんです。
あまり正しさに拘らなくても良いんです。
ま、ホントのところは誰かが生きてるわけじゃなく、
単に好き嫌いが出てきてるだけなんですけどねー。

そういった非二元の概念も、思考のまな板の上に持ってくる必要すらありません。

もちろん、概念となった非二元はぜーんぶストーリーに過ぎませんからねー。

それよりは、ニヤニヤできるような好きなことを思ってりゃ良いんです。

そういうことを言ってると、
「好きなことがないんですぅ〜」
って言われることもたまにあるんですが、
好きなことがないなんてのも単なる思い込みなんで、
好きなことがあることが正しい!なんてことを思わなくても良いです。

正しさは単なるルールに過ぎない

好きなことは正しいことではありません。
嫌いなことも間違っていることではありません。

そもそも、この世に、正しいも間違いもありません。
正しいと間違いは、何かしらのルールの上でしかないんです。

ちなみに、道徳というのも一つのルールに過ぎません。
そして、ルールというのは、エンタメのようなものなんです。

何かしらの正しさに自分が依存している時は、
エンタメを深刻なものにしちゃってるということでもあるのかもしれませんねー。

正しさを拠り所にしなくてよし!

ま、そういうことなので、正しさを拠り所になんてしなくて良いんです。
ニヤニヤをよりどころにしてやれば良いんですよね。
正しさには必ず間違いがついて回ります。

よりどころになる正しさを沢山集めれば集めるほど、
その裏にある間違いは、自分への否定として突き刺さってきます。
それはまさにブーメランのようなものなんですよね。

 

takuteto.hatenablog.com

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