Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

天邪鬼(アマノジャク)の正体とは?

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はーい。
どうもおはようございます。
タクさんです。

まー、このねー。
非二元でもワンネスでも何と呼んでもいいんですが、
このブログのようなお話しってねー。

パラドックスの連続なんですよね。

パラドックスというのは、いわゆる逆説ということですね。
逆、逆の連続なんです。

手に入れようとすればするほど、離れていき、
もういいや!と手に入れようとせずにいると、
あ、もうここにあった!と知る。
みたいなね。

とはいえねー。
いや、もういいや!と思ってみたけど、
それだと全然ここにあった!って思えないんですけど、
ってねー。
なったりもするんですよね。

 

つかもうとするとするりと抜けていく「それ」

なぜ、もういいや!と思ってみても、もうすでにここにあった!とはならないのか?
と言いますと、やっぱりそれは、もういいや!って思うことによって手に入れようとしているから。
ってことになるんですよねー。
手に入ったのか?と確かめようとすると、途端にするりとすり抜けてしまうんです。

いわゆる一瞥体験とか、そういった体験があったとしても、
あれ、自分はどこかに至ったのかな?何がどうなったんだろう?
ってね。
確かめようとした途端、「それ」は消え失せてしまうんですよね。
でも、消え失せたように見えて、じつはずっとここにあるみたいなね。

おい、お前はどれほどアマノジャクなんだ!

ってねー。
言いたくなるほど、つかみどころがなく。
それでいて、ずっとここにあってくれる。
これが「それ」なんです。

パラドックス

僕らは、自分に何かを埋めようとすればするほど足りなくなり、
足らないままで良いと知れば知るほど満たされるんです。

そして、完全になろうとすればするほど、完璧さが損なわれ、
不完全であることを容認すると、この不完全な様こそが完璧だったことに気づくんです。

これは、なにも「それ」がアマノジャクで意地悪だからということではありません。
アマノジャクなのは、「それ」ではなく、「それ」にあろうとしない自分の方だったんですよね。

アマノジャク

さて、ちょっと話がそれますが、アマノジャク(天邪鬼)って元々は女神様だったということはご存知ですか?
天邪鬼は元々、天の動きを知る女神であり、シャーマンだったんです。
天の動きの全てを知る女神が人の心を読み取りいたずらをする小鬼に変化した。
なーんてことが言われていたりします。
ま、もともとは全てを知る女神。つまりは神様である。
これがアマノジャクであるということはね。
何が言いたいのか?というと、あなたもまたアマノジャクであると同時に、
全てを知る「それ」そのものであるということでもあるんです。

そんなはずはない!で良いということ

あなたはすでに「それ」そのものなんです。
でも、「いや、そんなはずはない!」と思うから、
何とかして、「それ」に近づこうとしちゃうわけなんですね。
その「いやそんなはずはない!」と思える自分の姿。
それが完璧なんです。
でも、それだと至福を感じられていない!
って感じられるのなら、それでもう完璧なんですよね。

「いや!そんなはずはない!」という否定が自分に向けられていて、
それが自分に突き刺さっていたんです。

だから僕らは、否定的な感覚を感じていたんですよね。
でも、その否定が消え去った時、今まで許されていなかった「自分」が許されていたことを知るんです。
そして、あらゆる判断が抜け、確かめることもせずにただあってみる時、
じんわりと満たされていく感覚をきっと感じられると思います。
それは確かめるまでもなく判断されるまでもないもの。
まさに「あるがまま」なんです。

 

takuteto.hatenablog.com

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