Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

【今日は雑談】ざっくりとしたお金の話

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はい。
おはようございます。
タクさんです。

僕ら人間の大きな発明は、火の発明だと言われております。
でも火って実はホモ族だけがつかってたわけじゃなくて、
ネアンデルタール人や他の人類も使ってたらしいんですよねー。

まあこの発明のおかげで人類はたくさんの恩恵に授かったわけですが、同時に多く悩まされもしたわけです。

だって、ドンだけ火に苦労したか!ってことですもんねー。
散々、火事になやまされましたし、争いにも火が使われまくりましたし、
拳銃のようなものも火器ですので、火の力を使ったものですもんねー。

同じように僕らを便利にした反面、僕らを悩ませる発明となったモノ。

それは、お金という概念なのかもしれませんねー。
ま、そんなわけで、今日はお金をテーマとして思いっきりざっくりしたお話を書いてみたいと思います。

 

 

お金の始まり

まあ、皆さん。
ご存知の通りお金の始まりとは何か?と言いますと、物々交換では、どうしても不便だったので、その交換材料として使われ始めた。というのが定説になっております。
まあ、せっかく魚を捕まえても腐りますし、肉も腐ります。
だから、腐らないもの。減らないものとしてモノとモノを交換する媒介としてお金というものが使われ始めたというのが定説です。

元々日本では、お金として、貝を使ったり、コメを使ったりしていたみたいですね。

なので、財という字には、貝という字を使います。貯金という言葉にも貝が使われていますね。
また、江戸時代では、加賀100万石!なんてね。
お金持ちの単にを石高で表したりしてましたが、この石高というのは、
お米が取れる量ですからねー。
お米もお金の単位のように使われていたわけです。

また、ローマ時代は塩がお金として使われていたそうです。
サラリーをあらわす「サール」はソルトの語源ですもんね。

サラリーマンは、まさに塩男!ということになります。

ま、そんなわけで世界各地でお金が使われ始めたわけですが、
貝もお米も、塩も、やっぱり、お米は腐りにくいにしても腐っていきますし、
塩も水に濡れたらダメですし、貝も壊れたりしますしということで、
世界的に「金(キン)」が一番腐りにくいし変化しにくいということで、
金が通貨として使われることになったわけです。

金本位制

まあ、この金も結構な重さがありますのでね。
そのうち、この金を持ち運ぶのもちょっとシンドイで!
ってなってきて、防犯的な意味も込めて、金を預かるサービスをする人が現れてきたわけです。
これが銀行の走りですね。
金を安全に保管して預かってくれる代わりに、預かり証を発行してくれます。
この預かり証さえ持っていれば、いつでも金に交換してくれるわけですから、
今度は、この預かり証をお金の代わりに使うようになったわけです。
それが今の紙幣になったわけですね。
銀行が発行した券です。
今も、お札を見たら、日本銀行券って書いてありますもんね。
日本銀行券は日本銀行というところが発行している券だというわけです。
ちなみに、硬貨は日本銀行が発行しているわけではなく、日本国政府が発行しています。
だから、日本銀行とは書いてなくて、日本国とだけ書いてあります。
実は、日本では二種類の通貨が発行されているわけですね。

金本位制の崩壊

まあそんなこんなで、金を預かって預かり証を発行していた銀行は、
そのうち、預かっている金以上の交換券を流通させていきます。
だって、預かり証を渡したらものと交換できるようになったので、
誰も金と交換しようとはしませんもんね。
めちゃくちゃズルイですよね。
誰かがズルイことをすると、ワシもワシも!ということで、
あらゆる銀行が、持ってる金以上の交換券を発行させて、
もう収集がつかなくなってきたので、
もう金との交換やめるーっ!って言い出して、金本位制は崩壊したわけです。

なので、今のお金の価値は、もう信じるか信じないか?
これだけで成り立っているわけです。
お金のことをクレジットと言ったりしますが、クレジットとは信用という意味ですもんね。

もう神様と一緒です。
みんなが信じているからこそお金は成り立っているわけです。
だって、いまやお金はもう紙幣だけでなくデジタルによって処理されるようになってますので、実物はないわけです。
株券ももう実物は無くなっちゃいました。デジタルデータだけです。
あとは、みんなが信じる間だけお金は存在できるんです。

お金は共同幻想

つまりお金は共同幻想です。
もちろん、お金だけではなくあらゆるものが共同幻想なんですけどね。
それは、国もそうだし、神もそうだし、会社も社会も法律も全てが共同幻想です。
ありとあらゆるものが幻想であり、この幻想が共有されると共同幻想になるわけですが、
お金というのは、幻想であるがゆえに何を持って信用するのかといった条件が変わりやすいので、お金の価値は常に変動し時に乱高下するわけです。
なので、共同幻想として観察するのにはとてもわかりやすい題材なのかもしれませんね。

国(国の中央銀行)が発行するお金は、その国が信用されなくなると、途端に紙切れになるわけです。

幻想からの目覚め

もちろん共同幻想だからといってそこから逃れようとしてもどうしようもありません。
人間は共同幻想をつかって助け合うことで力を発揮できる代わりに、一人で生きられないという生き物ですからね。

そして共同幻想とはみんなが信じている間だけ成り立つものです。

昔は神さまはみんなに信じられていました。
でも、科学が登場し、人は神様よりも科学を信じるようになりました。

お金だって、みんなが信じているから成り立つものです。
国という単位もそうです。みんなが信じているから国が成り立っています。

ですが、人が信じるものは時代によって変わっていきます。
お金も、そして国だって、いつまでも人が信じ続けるとは限らないんですよねん。

神が信じられている頃、人は神の名の下に争い、
国が信じられている頃、人は国をかけて争い、
お金が信じられている頃、人は経済戦争を行ったわけですが、

もうそれらも卒業してくのでしょうね。

そのうち、あらゆる幻想は信じるものではなく、ルールとして遊ぶものだと、
人は知ることになっていくでしょう。

そうなると、幻想は縛られるものではなく、
便利な道具だったことが改めて思い出されるでしょうし、
その幻想で目一杯楽しく遊ぶことになったとき、
僕らの共同幻想は、より自由なものとして洗練されていくのでしょうねー。

 

takuteto.hatenablog.com

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