Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

自分を拠り所にするということ

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ほい。
どうもおはようございます。
タクさんです。

ぼく、ウシジマくんっていう漫画が結構好きなんですよね。
内容はえげつないので、これを読んでると落ち込んでくるわぁ〜。
ってね思いながらも読み進めちゃう。
なんかそんな漫画です。

そんなウシジマくんの漫画の中でグッとくるセリフがあります。

目の前の現実から逃げれば逃げた分だけ居心地の悪いところに落ちていく。
ウシジマくん

うそーん。めっちゃ怖いやーん。
ってね。思っちゃうかもしれません。
まあでも恐れることはありません。目の前の現実もホントは怖いものじゃないですし、
落ちるとか上がるなんてのも条件に過ぎませんからね。
ただ、このどちらかに思考がハマると落ちるという思考(現実・夢)を観ることになってしまうんです。
まあ、思考にハマったとしても、それもまた一つの味ですので心配は無用です。

まあこれね〜、まさに自灯明でありなさいよ。ってことなんですよね。
自灯明とは、ブッダが死の直前に残した教えの一つと言われております(知らんけど)。
どんな教えかといいますと、一瞬先が闇のように見え、何を道しるべに進めば良いのか迷ってしまうようなときには、自分自身を灯火として、自分自身を頼りとして歩んで行きなさい。という教えなんです。
自分を拠り所にしなさいということですね。

目の前の現実をなんとかしたい。
できるならもう逃げたいっ!ってね〜。
そりゃー、生きてりゃそう思っちゃうこともありますよね。
そして何かしらの救いを求めて探求をされている方って多いんじゃないかなって思います。
僕自身もこういった話に興味を持ったきっかけはそれでしたからねー。

だから、どうにかしたい。
できることなら、目の前の現実を見ずに済ましたい。
ってな思いもよくわかります。

でもこれって、拠り所が自分ではなく、目の前のこと(幻想)になってしまっていて
そこに翻弄されてしまっているんです。

それってね。別にいいんですが、ちょっともったいないんですよね。
というわけで、今日はこの辺のことについて書いてみたいと思います。

 

 

自分という拠り所

目の前の現実。これがあまりにも大きく感じる理由。
それは自分ではどうしようもない!と思うからなんですよね。
自分でなんとかできそうなことなら、それほど悩みませんもんねー。
でも、この現実が自分の能力を超えた大きなモノだったりするのであれば、
とても抱えきれない大きなものとして襲いかかってくるように見えるんです。
でもね。
どんな状況にあろうと、自分自身を支えることができるのは自分だけです。
そんな自分を頼りにしなさいということなんですね。

自分を頼りにするってどうするのよ。

さて、とはいえねー。
「自分を頼りにするってどうするのよぉぉぉ。」
「もうエライことが起こってるのよぉぉぉ。」
ってね。
思っちゃいますよね。
じゃあどうするかというと、まずは、
自分を頼りにするからには、ちゃんと自分を知らなきゃなりません。
自分というのは、考えによってできているものではありません。
自分って何?
ってね、考え出すと色んな要素がそれらしい顔をして出てくるとは思いますが、
どの要素にも自分は当てはまらないということがわかってくると思うんです。
例えば、
ワタシとは身体?
ワタシとは信念?
ワタシとは心?
ってね。
いろんなワタシの要素は挙げられるかもしれませんが、その全てはワタシではありませんもんね。
あなたがなーんにもしなくても、すでに生きているイノチ。それがあなたです
そのイノチはすべての循環として常に変化を繰り返して表現されています。
僕らは空気を吸って、吐かないと生きていけないし、太陽の光がないと生きていけないし、
何かを飲み食いして、そして排泄しないと生きていけません。
この循環こそがイノチの正体であり、循環は全てが繋がりとして、縁として起こっています。
まさに縁起(えんぎ)だというわけです。
このによってこっているもの。それが自分であり、この自分こそが真理なんです。
自分を頼りにしなさいというのは、この真理を頼りにしなさいということなんです。

恐れを頼りにしないということ。

真理を頼りにするというのは、言い換えると、真理以外に惑わされなくてもええねんで。
という教えでもあるんです。
真理とはすでにここで起きているイノチの循環です。
そこにおまかせすれば良いんです。
これは、一見、「何もしない」ということにとっても似てるかもしれませんがそうじゃありません。
恐れからくる考えや思考のおしゃべりに翻弄されず、直感(本能)を頼りにするということです。
直感は起こすものではなく起こってくるものなので、それにお任せし、直感が湧いたならそこに知恵を絞って肉付けするということなんです。

現実的にやれることやれないこと

でもやはりまだまだ、
「とはいえねー。」
って思いが出てくるかもしれません。
「大惨事が起きてしまっておるのじゃー!」
「なんとかしなきゃならんのに、お任せしますぅ〜。なんて構えてる暇はないんじゃー!」
とかね。
いろいろと、そうはいかんっ!という思いも出てくるかと思います。
もちろん、この話も、何もせずにお任せしますぅ〜。ってね。ゆったり構えるということとは全く違います。
ですが、現実的にできないことをやらなきゃならないっ!と騒いでも仕方ありませんもんね。
そういう部分については、もうできるのかできないのかも含めておまかせしちゃえばいいのですが、そしてできそうなことに対しては知恵を絞れば良いんです。

比較はいらない

また、
「なんで自分だけがこんな目に!」
なんて思いも出てくるかもしれません。
これもね。
ついつい出てくる思いなんですが、ここでなぜなんだ?と考えてみたとしても、どうしようもない事もあると思います。
そういう思いって結局比較によって起こってる場合が多いんですが、何との比較かというと、
過去の自分との比較や、
こうあるべき自分との比較です。

この過去の自分もこうあるべき自分も幻想のようなものですのでね。
それと比べて今の自分が悲惨だ!と嘆いたとしても仕方がありませんし、
そんな幻想で自分を悲惨あつかいするのもまた、自分に対して失礼ですからね。
そんな比較はいらんのです。

あなたはすでに完璧です。そんな自分を拠り所に、知恵を絞り、あなたの光を頼りに歩んでいくということ。これがベストなんです。

そしてね。本能で逃げなきゃっ!って思うときは思いっきり逃げれば良いんです。

 

takuteto.hatenablog.com

 

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