Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

解釈に正解はない。

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はーい。
おはようございます。
タクさんです。

このブログのコメント欄は基本的に僕はあまり書き込まないようにしていますが、
応援コメントなど、ありがたく読ませていただいていますし、それ以外のコメントも返事はしていませんが読んでいます。
ありがとうございます!

今日はコメント欄でいただいたうめさんのご質問について書いてみたいと思います。

うめさん
タクさんに習ったこと、復習のために書かせてもらいます。例えば、会社で同じミスを何回もして、上司に怒られて、同僚にも迷惑かけてしまった。もうミスすまいと気を付けてもミスをしてしまう、自分が辞めた方が会社の人にもいいんじゃあないか?でも転職するというと不安。。。といった場合、ミスして責めている自分をまずゆるして(自分の言い分を聞いてあげる)、それで何もない空間に溶け込めて問題を問題視しなくなってたらOk。 これだけでもいいけど、何でそういう反応がおこったか、観念を見ていく「人に迷惑をかけてはいけない」「ミスしてはいけない」 「上司、同僚に役に立つ人材と思われないといけない」(などなど例えばですけど)これでいいのでしょうか?間違った解釈かもしれない。読者の方含めて総つっこみ入ってるかも^^; ともあれ、詳しく書いてくださってありがとうございます。

 本当に同じミスを何回もしているのか、例え話なのか?はわからないんですが、
ほんとにミスばっかりで、いつも怒られてるのだとしたら、
もしかして、この仕事向いてないのかも。。。
ってことを考えても良いんじゃないかなぁ〜ってね。
単純にまずそう思いました。

もちろん、自分を許すってのも良いんですけどね。
そして、観念を観るのもバッチリです。
観念を観るというのは、観念は観念でしか無いことの発見につながるんですよね。

でもそれを、仕事の問題から目を背けるために使う。
もしくは、仕事の問題を解決するために使う。
自分をより良くするために使う。
みたいなね。
そんな大前提があるんだとしたら、それはうまくいきませんし、
目を背けようとすればするほど、目の前にアッピールしてくることになってくるんです。

自分の本心としては、もしかしたら今、いろいろと無理をしているのかも。
ってなことをねー。
心はアッピールしているのかもしれません。

ただ、いきなり転職!いきなりやめる!というのも難しいかもしれないので、
まずは自分の好き!はなんなのか?
この辺を掘り下げてみても良いかもしれません。
そして、やりたいことをやる時間を自分の人生の中で少しずつ確保していくんです。

まあどっちにしてもですね。
仕事も人生も、しっかりとちゃんとしなきゃならないみたいなね。
そんな固いものでもありませんのでね〜。

ちゃんとしようとするのではなく、どうすればもっとオモロイかなぁ?
どう味付けしたら笑えるかな??
位な感じでね。
楽しく味付けする感じで考えてみるといいと思います。

その上で、いつもミスする自分をもう許しちゃって、気にもしない。
怒られることもネタにする。みたいなね。
そんな感じのキャラでいくんだ!というのなら、
それも、とってもオモロイので、アリはアリだと思います。

 

そして、えりえりさんも梅さんのこのコメントについて言及してもらっています。

えりえりさん!
ありがとうございます。

えりえりさん
>うめさん
ナイスな考察をありがとうございます!
まだ、わからない中なんですが…
もしかすると、「なにもしない」なんじゃないでしょうか?
どうして起こったのか?なんでこうなったのか?何が原因なのか?観念さがしもすっごくしたくなるんですが。
それは、解決したいからで…今の気持ちを、どうにかしたいからで。
それを、どうにかしない。
そうすると、「えぇぇぇぇ!!!!」って、エゴちゃんがめっちゃ大騒ぎするんですが、それでも、そうだよねー。そう思うよねー。大丈夫だよー。って、何もしない。
そして、淡々と日常をすごすのかな???

なんて。いい加減なことをすみません。
タクさーん、おしえてー!!!!

うんうん。
えりえりさんのその感覚!素敵です。
書いていただいた内容が、まさに許しですよね。

エゴチャンが
「えぇぇぇぇぇ!!!!!」
って言っているのをとってもカワイイなぁと観てあげたならもうこっちのもんです。

騒いでるのはエゴチャンだけやんっ!
わしゃ知らんがな。
ってなりますのでね。

すると、えごちゃんが騒ぐのは別にそれで良いことになります。
そして、騒ごうが静かにしてようが、
結局やりたいことをやるが残ってきますのでねー。

さて、自分の好きなことを探せばいい。ということと、
えごちゃんに大丈夫だよーと言いつつ何もしない。ということ。

どっちもいいってなると、

「どっちをすれば良いのよぉ〜!」
って思うかもしれません。

そもそも、決まった道も正しい解釈も存在しませんし、
正しいも間違いもありませんので、

こうするのが正しい!というのはないんですが、

でもあえて言うなら、
ここは欲張って、両方やってやりゃ良いんじゃない?
って思います。

自分の好きを探してみる。転職の可能性もあたってみる。
同時にミスをしない方法がありそうなら試してみる。

さらには、
「ミスしてはいけない」
「上司、同僚に役に立つ人材と思われないといけない」
といったような思い込みについては、
うんうん。そういう反応があるのは認めるけど、
で?って感じで可愛く騒ぐエゴちゃんをそのまんまにしておいてあげる。

これらのことをね。気楽に楽しく遊んでみると良いんじゃないかな〜って思います。

「気楽になんてなれないよ!」って思うエゴちゃんのマジメで健気な感覚も、

「健気でカワイイよね〜」ってね。
愛でてあげつつ、遊ぶんです。

どう解釈したら良いのか?ってね。
ついつい思っちゃうものなんですが、
解釈って実は文学のようなものでしてね。
そこに正解はないんです。

俳句や短歌に正解がないのと似た感じなんです。

だから、より自分を輝かせる解釈で遊べばいいですし、
解釈に脅迫されるいわれも無いんです。

あと、シーンとなるまで何もしないで聞いてあげたあと、

どうしたらいいんだろう??っていうお話がありましたよね?
それについてなんですが、シーンとなるのは頭の中のおしゃべりだけですよね。
そもそも音がないのにうるさく感じていたというわけです。
シーンとなるように感じるかもしれませんが、実際には音がなっていたわけじゃないので、何も変わっていないはずなんですよね。

シーンとなった時はじめて、目の前の全てを、ありのままに観ることになるわけですね。

なので、シーンとなったなら、あれこれ探索しなくても良いんです。
このシーンこそが答えなんです。

だから、そのシーンにリラックスしてれば良いんですよぉ〜。

 

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