はーい。
どうもおはようございます。
あなたはねー。
すでに「それ」なんです。
「それ」とは完璧であり、全てです。
完璧で全てなので、言葉で限定づけて指し示すことができない。
だから「それ」なんです。
でね。
あなたはすでに「それ」であり「それ」以外になったことはないんですよね。
で、
「そうは思えない。」
「完璧じゃない」という思いがある。
のだとしても、それで正解なんです。
まだ、「それ」に至ってないんだとしても、
それは、そういう思い込みが、ちゃんと完璧の中で起こってるんです。
だから、それで良いんです。
こういう話をしてると、よく勘違いされるのは、
ここで書かれているような考え方を僕が持っている。
という勘違いです。
結構、口すっぱく言ってるんですけどね。
これを知ったからと言って、
なにやら穏やかになるとか、怒らなくなるとか、悲しまなくなるとか、
そういうことじゃないんです。
私はいないという考え方を採用して生きるようになる。
とかね。
そういうわけじゃないんですよね。
見抜かれるのは、
僕らは、常に何かの考え方を採用しなければならないと考えていたこと。
そしてそれは、単なる考えでしかないということなんです。
もちろんね。
この仕組みが見抜かれることによって、
「こだわり」となっていたあらゆる思い込みが副作用的になくなったり緩むことはあるかもしれません。
これは、こだわりがあることが完全に許されることによって起こる副作用なので、
もうどっちでもよくなるんですよね。
だから、
「まだ、赦せないことがことがある」とか、
「手放せない自分がいる」とか、
「思いと同化してしまう」とかね。
それって、もうそれで全然良いんですよねー。
で、全然良いんだー。良かったんだー。っていうね。
今のありのままの自分を受け入れてあげちゃうとね。
面白いことに、思いは赦され、赦されることで手放され、
そもそも、赦されていて手放されていたことに気づいちゃうんです。
ゲームで例えますとね。
マリオが死ぬことはゲーム上で許されていたことに気づいたとしても、
死んで良いからといって、ゲーム上でわざと死ぬことはありませんよね。
それなら、わざわざそのゲームはしませんからね。
だから、死んで良いと知りながら、思いっきりゲームを楽しみ遊ぶんです。
つまり死なないように頑張るわけです。
するとね。
楽しくゲームを遊べますんで、ゲームがスイスイと進むんですよね。
死ぬのが怖いと、先に進めなかったマリオが生き生きと走り出すって感じです。
ゲームの結果にこだわりすぎると、先に進めなくなっちゃいますが、
結果へのこだわりがなくなると、ホントのゲームの楽しさが蘇ってくれるんですねー。
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