Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

この世はゲームか真実か?

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はいどうもー!
おはようございます。
タクさんでございます。

さあ皆さん。
今日もがっつり生きていらっしゃいますでしょうか?

ま、これを読んでいただいているからには、
生きていらっしゃいますよね。

そして、生きるには、多いも少ないもありません。
だって、ちょっとだけ生きようとか、
いっぱい生きようってねぇ。
意味がわかりませんもんね。

つまり、あなたが今、生きているからには、
もう100%完全に生きているんですよねー。

つまり、あなたは今完璧に生きているわけです。
もうこれ以上なにか加える必要があるんでしょうか?

今、完全に、100%生きている。
だったら良いじゃん♪
ってことなんですけどねー。

「いやいや、そうはいかんっ!」
ってなっちゃうのが僕ら人間ってものですもんねー。

この「いやいや、そうはいかん!」
という思いがあるからには、そうなってはいけない意味が何処かにあるからなんです。

そしてこの意味づけは思い込みであるわけなんですが、
また同時に、僕ら人間の醍醐味でもあるんです。

うーん。
ややこしいですね。

と言うわけで、今日はこんなややこしい話をもう少し続けてみたいと思います。

 

さてみなさん。
日本で一番有名なイタリア人は誰かご存知でしょうか?

へ??誰だろう??
歴史上の人物だと、カエサルにマルコポーロ。
レオナルドダヴィンチも上がってくるかもしれません。
サッカーではロベルトバッジョなんかも有名ですが、、、

ヒントは実在の人ではなく、キャラクターです。
きっとみんな知ってるキャラクターです。

その答えは、、、
みなさんご存知の「マリオ(ゲームキャラクター)」ですねー。

実はマリオはスーパーマリオワールトの説明書で「謎のイタリア人」であると書かれているんですよね。

このマリオさんなんですけどね。
きっと日本中のご家庭のテレビの中で、散々活躍されたことだろうと思いますが、
同時に、ものすごい数のマリオさんが死んでるんですよね。

穴に落ちたり、クリボーに触ったりして。

マリオさんが死ぬこと。
これはゲームのルールの中では、あってはならないことなんですが、
ゲーム自体を成立させるためには、マリオさんが死ななきゃゲームは成立しないんです。

マリオが死ぬのはあってはならないけど、同時にそれはあって良い。
一見矛盾してるようにみえが、死ななきゃゲームにならないし、でもゲーム内では死ぬのは失敗ということになるわけでして、矛盾はしてないんですよね。

なんていうかねー。
この感じと似てるんです。

僕らは、なんでもないものに、架空の意味を付与して、概念として掴み取ることができるという特技を持っています。

この特技が優秀なのは、架空の意味づけを真実として扱うことができちゃうことです。
これは、演技を本気で演じることができると言うことでもあります。

この演技が本気になるのを担保しているのが体の感覚と思考のイメージが一緒になることなんです。

これは醍醐味でもあると同時に、もしこのストーリーがしんどいのなら、一旦体の感覚と思考のイメージを離してあげたら良いんです。

マリオがいくらゲームで死のうとも、マリオは不滅です。
どのマリオも一切損なわれてはいません。
同様にストーリーがどのように起こっていたとしても僕らは一切損なわれてはいないんです。

もうすでに、100%生きているんです。

ゲームを置いて、今ここでちょっとリラックスしてみた時、
すでにここに、分離なく在るということ。
みずみずしく生きているということが、感じ取れるんです。

意味づけをするとその意味づけによるゲームが始まるだけなんです。

 

 

takuteto.hatenablog.com

 

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