Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

無価値の価値

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はーい。
おっはようございやす。
タクさんです。

みなさん。
好きなことをやっておりますでしょうか?

僕ねー。
漫画家の水木しげるさんが結構好きでしてね。
子供の頃もゲゲゲの鬼太郎にハマってました。

この水木しげるさんの言葉で、
「ナマケモノになりなさい。」
っていうのがあるんですけどね。

これ、
ただ、ダラダラとしてなさい。ということじゃなくて、
自分の好きなことをしようねー。
っていうニュアンスの意味らしいんです。

水木しげるさんは、徴兵でパラオに駐屯中、
現地の人の生活ぶりを見た時に、
みんな好きなことをして生きている様子に感銘を受けたんだそうです。

しかし、時代が流れるにつれ、極楽だったパラオにも、
先進国の文化が入ってきて、当時のような楽園は失われつつある。
とテレビで少々嘆いていたのを見たことがあります。

先進国の文化は全てが悪いというものじゃないんでしょうが、
やっぱりどうしても、価値感が増えてしまうんですよね。

価値が増えれば触れるほど、
不足感もまた増えてしまうわけでして、
元々なかったものが増えてしまうと、
どうしても価値の概念が増え、同時に不足感も増えちゃうんですよね。

 

さてさて、
「それ」とは「なんでもないもの」です。
なんてね。
よく言っているわけですが、
この「なんでもないもの」のなんでもなさ。
これこそが価値から解き放たれた全てなんです。

このなんでもなさを受け入れた時に、
価値の概念からの解放が起こるんです。

これは、
ものの便利さを否定するわけでもなく、
価値を否定するものでもありません。

お金なんて本当は価値がないから、もう自給自足します。
とか
文明を否定して、山奥にこもるとか、、

なんかそういうことじゃないんです。
むしろ、そうやってる方が、めっちゃ価値を意識して価値に振り回されてるやん!

って思ったりもしますもんねー。

価値という概念は、いろんなことをスムーズに運ぶための便利な概念ですので便利に使えばいいんです。。

ただし、価値という概念は、便利ツールであるわけでして、
なにも自分というものを縛るものじゃありません。

価値観なんてそれほど大げさなものじゃないんです。
だから便利に楽しく使いつつ、自分を縛るほどの大げさなものとして扱う必要もないんですよね。

素晴らしさは価値に依存しません。

価値という概念の中に素晴らしさがあるわけじゃないんです。
素晴らしさは、あらゆる価値を取り払ったところにあるんです。

椅子に座った感触。
それは取るに足りないものかもしれませんが、
価値という概念はおいておいて、
ダイレクトにこの感覚に向き合ってみると
まさにこの感覚は自身と一体でありそれ以外に何もなくまさに完璧で奇跡的であることを知るんです。

手のひらのぬくもり、その感じる感覚。
目の前のただ起こっていること。

価値観の概念に当てはめると、なーんでもないこと。

なんでもないから、意味もないと見過ごしていたこと。

このなんでもなさこそが、まさに価値に縛られていない祝福なんです。

価値の概念は幻想です。この幻想を幻想として便利に扱えばいいわけです。
そして、ちゃんと幻想として扱ってあげることで、
目の前のすべてのなんでもなさが輝き、自分に課していた何者かにならなきゃならないという思いは解き放たれ、
なんでもなさと自分もまた溶け合うんです。

 

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