ほい。
おはようございます。
タクさんです。
まー僕らは、思いに悩まされる時って、
その思いのストーリー上でどうにかしようとしちゃいがちなんですよね。
ストーリーの中にある問題。
これをどう埋めたらいいんだろう?
ってね。
悩むわけです。
そして、同時にこのストーリーの中の問題を信じているということは、
自分が足りない存在であるということも信じているということになるんですね。
そして、この足りない自分はどう埋めたらいいんだろう?
と悩むわけです。
でね。
このストーリーなんですが、問題があるということを軸にして組み立てられております。
もう、ストーリー自体が、自分は足りないが大前提になってるんですよね。
だから、どう埋めたらいいのか?の答えは、ないんです。
今は、埋めようがないから問題として成り立っている。
っていうわけですねー。
さて、
こいつはあくまでもストーリーなので、
実はこの問題についてそれほど深刻になる必要はありません。
でも僕らはなぜこのストーリーをより深刻に受け止めるのか。
と言いますとね。
それは演出があるからなんです。
演出とはなにか?といいますと、
よくねぇ。
怖いシーンなんかには怖〜い音楽が流れたりしますよねぇ。
あれが演出です。
えー。
でも僕らのストーリーにはなんの音楽も流れてませんけどー?
っておもわれるかもしれません。
そう。
この演出の本命は、音楽じゃなくて、音楽を聴いた時にどう感じるか?
これが本命であり演出効果となっているんです。
怖い音楽。
これって、何で構成されているのかと言いますとね。
不協和音なんです。
不協和音とは耳障りな音です。
例えば、ドとミの音を一緒に引くと、心地の良い音になります。
ですが、ミとファの音は、耳障りに感じるんです。
ま、これは音の振動数によってそうなるんですが、
不協和音とはこのミとファ合わない音、耳障りな音のことです。
合わない音を聞かされると僕らは不快感を感じます。
その不快感。これこそが演出効果になっているというわけなんですねー。
そう。
そして僕らの頭の中のストーリーの中でも、不快なものについては、
演出効果として不快感が演出されているんです。
不快感とはどこで感じているのかというと、僕らの身体です。
身体の反応として不快感を感じているわけです。
この不快感を感じると思考はこの原因探しをします。
そしてその原因をストーリーとして語るんです。
語られたストーリーを一番近くで聞くのは自分です。
そして、ストーリーを聴いた自分は、また不快感を感じるわけです。
このキャッチボールが思考に悩まされている状態なんです。
いずれにせよ。最初におこるのは身体の反応です。
それをストーリーで味付けするから大きな問題として演出されているわけなんですよねー。
ストーリーはもう、今は埋めることができない、足りない自分を大前提に組み立てられています。
ここで、それをどうしよう?と悩んでも、答えは見つかりません。
ここで、答えを見つけるのだとしたら、今できることだけに注目するしかありません。
そして、不確定要素については、不確定なまま受け入れるしかないんですね。
あと、体に感じている不快感とストーリーは別のものなので、
ここは別のものとしてしっかりと観るんです。
面白いことに、深刻さの本体は身体の感覚の中にあるんですが、
この深刻さを深刻さとして演出しているのはストーリーの中にあるんですよね。
この連携がうまくいってこそ、深刻さは感じられますが、この連携がずれると
深刻さは感じられなくなるんですよねー。
つまり体に感じている不快感とストーリーは別のものだと見破られることで、
深刻さは消えるわけです。
つまり悩みに対処するコツは、
・今できることだけを注目する。それ以外は無視。
・不確定要素については相手にしない。
そして、
身体の不快感とストーリーは別物だということを知る。
ということなんです。
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