はい。
おはようございます。
えーっと、なんか友達に似てるー。
ってねぇ。
初対面で言われがちなタクさんです。
いやー、5、6回は言われたことがあるんですよね。
初対面の人から、
真面目な顔をして、
◯◯さんじゃないよねぇ??
って聞かれるんで、
違いますよーっていうと、
いやー、本当に似てるよー。
とか言われるんです。
あと、こないだどこどこで見たよ〜。
っていうのも言われるんですが、
それもきっと僕じゃないんですよね。
うん。
わかっとる。
よくある顔やということやろ。
皆まで言わんでも、わかっとるっ!
きっと、普通ないでたちなんでしょうねぇ。
つまりは、平凡だということです。
「あんた!知り合いに似てるわ!」
っていわれた場合にどう返すのか?
ここはまだ、研究中です。
なにかウィットなジョークを飛ばさなきゃならない場面なのかもしれませんが、
まー滑ります。
「知り合いに似てるって、あんたキムタクと知り合いなんか!」
と言ったら、だいたい微妙な表情をされます。
さてさて、
平凡という言葉についてどう感じるでしょうか?
あまり嬉しくはない。というのが大半の意見なのかもしれませんねー。
特に、自我ちゃん。
つまり自分は平凡を嫌います。
平凡だと危ないとすら思っているんです。
なので何かしらの力を求めますし、特別さを求めるんです。
また、自分に特別さを感じない場合は、
他人のダメなところと比べて安心したりもするわけです。
なので、まあ普通は、
「うふふ。あなたって平凡なのね!」
とか言われちゃうと、カチーンときたりするわけですねー。
特別さというのが、珍しい色!なんだとしたら、
平凡さというのは無色透明です。
究極の平凡とは、無色透明なんですよね。
僕らは自分というものに何かしらの定義づけをしています。
これも平凡さの中ではすべてが透明化されてしまいます。
定義づけは、ちょっとした他とは違うという意味が含まれていますが、
平凡さの中に溶け込むと、この意味もまた消え失せていくんです。
これもまた平凡さを恐れる原因となっています。
平凡さに溶け込むというのは、自分が消えるということと捉えられてしまうんです。
なので、自我ちゃんは生き残り戦略は自分というものをより特別な存在にしようとするんですよねー。
こんな自我ちゃんの働きを微笑ましく見守ってあげてみると、
許せなかったあらゆることも、既に許されていたことが発見されるかも知れませんねー。
そして、許されていたことを知れば知るほど、僕らは平凡さの中に溶け込んでいくんです。
あるがままというのは、この平凡さだったんですねー。
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