Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

「相補性思考」が持つジレンマ

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ほい。
おはようございます。
タクさんです。

AIの進化にともない、
人がする仕事はどんどんAI任せになっていき、
仕事がAIにうばわれるぅー。

みたいなね。
そんなお話があるんですが、
AIが仕事をしてくれるんやったら、僕ら遊んで暮らせるんと違うん??
なんて思ったりもする今日この頃です。

実はね、人が普通に食っていくくらいだったら、
もう働かなくてもいい体制にはなっているんでしょうねー。
だって、ものすごい量の食べ物を捨ててるんですもんね。

ただ、全員が働かずに食っていく!ってことになると、
それはまだ立ちいかないので、
人が働くという仕組みは維持しつつ、余った食料は捨てる。
みたいなことをやってるだけだったりして。

となると、その辺りもAIが出てきてくれたら、
まるっと解決しちゃうんじゃなかろうか?
なーんて夢想しています。

ちなみに、古代ギリシャやローマで
高度な知性や文明が発展したのも奴隷制度のおかげだと言われております。
その代わりをAIが担ってくれるのなら、ますます楽しくなっちゃったりして♪

 

さてさて、今日はAIのお話じゃなくて、
二元ってなんなの?
っていうお話です。

AIにしろ、いわゆるコンピューターというのは二進法という仕組みで動いています。
1か0かの羅列ですね。
これが二進法です。

僕らも思考もだいたいこれらに近い感覚で働きます。

ただちょっと違うのは、単に1と0とに分離するというよりは、
分けられる二つ。仮にそれを「陰と陽」と呼ぶのだとしたら、
その陰と陽は相互に補完し合っている。という感覚もまた思考の中にあったりするんです。

それが「相補性思考」というものであり、分割されたものは、相互に補完し合う関係性にあり、切っても切り離せないものである。

っていう感じですかねー。
なので、どちらか片方だけでは成り立たないんですよね。

ま、これは言い換えれば、そもそも分割されておらず、ひと繋がりになっているという証拠でもあるわけですが、思考として掴み取るからには分割させなきゃ掴めない。

でも分割されたものは相互に補完しあっているから、分割・分離を採用しつつ、
その裏では統合を望んでいる。
というジレンマが思考の中にあったりするわけです。

統合されたものをを分割することで、僕らは理解をする。
そして、同時に統合されていたことを知っているので、分割されたものは相互に保管しあう関係性を持つ。
そして、僕らはこの統合を求めるあまり、統合、つまり完璧を求めてより良い考え方を探求する。
といったジレンマです。

このジレンマは、思考というのは単なる機能であり実体ではないことが見抜かれていくにしたがって、解消されていくんです。

 

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