Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

神との付き合い方【その1】

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はい。
おはようございます。
タクさんです。

僕らはね。
あらゆる概念を自分の中に作ります。

そして、不思議なことに、自分よりも上位な概念をも作り上げたりするわけなんです。

自分よりも上位な概念。
っていうのはどういうものなのかというと、
自分よりも優先されるべき概念です。

自分よりも偉いものですねー。

この概念は自分よりも上位にあるので、
自分がそこに従わなければならない。
といった感覚に陥るんですよねー。

自分が作る概念なのに、その自分よりも優先される概念を作る。
なぜこんな変なことをことをするのかというと、
これは、僕ら人間が高度な社会性を得るために身につけた一つの能力なんですよね。

そして僕らがが、度々悩んだり、苦しめられたりするのも、この能力のせいだったりするわけです。

実は、人類は今は僕らホモ・サピエンスの1種類しかいませんが、
昔はたくさんの人類が地球上に存在していました。

中でも有名なネアンデルタール人なんかは、
僕らよりも体も大きく、身体能力も高く、さらに脳も大きくて、
僕らホモ・サピエンスよりも強く、頭も良かったという説もあります。

実際、ネアンデルタール人が作成した言われる様々な芸術的な壁画も残されています。

また、ネアンデルタール人とホモ・サピエンスとの間に争いがあったあとも発見されており、ホモ・サピエンスは何度も負けていたそうです。

ネアンデルタール人こそ、人類の王である時代が長い間あったそうなんですよねー。

ですが、次第にその位もホモ・サピエンスに徐々に取って代わられ、
数万年を経て、滅亡してしまうわけです。

身体能力も優れていて、かしこかったネアンデルタール人がなぜ滅び、
能力の劣るホモ・サピエンスが今の繁栄を築いていけたのか?

この理由の大きな要因が、ホモ・サピエンスには高度な社会を作る能力があったからだと言われています。

つまり、団結力ですね。

この団結力を培う能力。
これが、自分よりも上位の概念を作ることができる能力だというわけです。

神という概念、そして宗教という概念もまさにこれです。

ネアンデルタール人はせいぜい数十人のグループしか作れないのに対し、
ホモ・サピエンスは何倍ものグループを作ることができたので、
数の力で、より発展してきたというわけです。

この上位の概念が作れるから、神の名の下に団結することができ、
大量人数のグループを作成し、村や国を作り、高度な社会性を身につけてきた。
というわけですねー。

 

ま、この上位の概念のおかげで、僕らは発展できた反面、
この作られた概念に縛られ自由を奪われ、
苦を感じちゃうという不具合も手に入れてきたわけです。

自分が足りないという思いも、不自由な感覚もこの概念が生み出しておるわけです。

そもそも、これらはあくまでも概念です。
概念にはなーんの力もありません。
概念が僕らをしばきに来ることはありません。

恐れるものではないわけですが、僕らは自分よりも上位の概念を作っちゃうクセがあるために、ついついこの概念に恐れや深刻さを感じるんです。

自信を失ったり、自己嫌悪に陥っちゃったりするというのも、この概念の仕業です。
実体のない概念が幅を利かしてくるから生じちゃうわけなんですよねー。

ちょっと長くなってきましたので、今日はこの辺りまでにして、
明日はこの上位概念と、どう付き合えばいいのか?
というお話を書いていきます。

ではまた明日お会いしましょー!

 

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