Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

承認欲求は役に立たず

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座りすぎは、座り病とまで言われ、まさに座りすぎは健康被害として指摘されるようになってきましたねぇ。

肥満というのも体に悪影響を与えると言いますが、座りすぎというのは、これ以上に健康リスクが高いらしいんです。

脂肪肝、心臓病、血栓、がんの原因にもなりうるとか、、、

しかも、しかもですよっ!

座りすぎは、肥満の原因にもなるっていうじゃないですか!!!

というわけで、おはようございます。
タクさんです。

そういわれれば、社会人になってからというもの、座る時間が大幅に増えたことを危惧しているタクさんです。

皆さんは、どのようなシットダウンライフをお過ごしでしょうか?

ちなみに、アップルウォッチは、座りすぎていると、
「おらっ!そろそろ立てよ!」と教えてくれるので便利です。

 

ま、話は変わりますが、
僕らはいろんな欲求を持ってますよね〜。

食欲に性欲、睡眠欲などなどねー。

これらの欲求はね。
ある程度の存在価値はあると思うんです。

寝なきゃ、身体の調子は狂いますし、
食べなきゃ、死んじゃいます。

性欲だって子孫繁栄のために必要です。

なので、欲求というのも必要性はあるものなんですけどねー。

この欲求はもしかしたら全くもって必要ないんじゃないか?
というものがあります。

それが、承認欲求なんじゃないのかな?
って思うんです。

だって、こいつ。
なんの役にも立ちませんよねぇ?

それどころか、
こいつが大暴れすればするほど、
かえって、自己が傷つけられ、
そして、自己が傷つけられればられるほど、
さらに承認欲求が大きくなる。
っていうねー。

妙な悪循環が起こってしまいます。

承認欲求は、クッソ役に立たない!

って言うことはね。
どこか頭の片隅にでもおいておくと良いかも知れません。

これ、自己防衛反応のバグのようなものなんじゃないのかな?
って思うんですよねー。

そして、欲求と言いながら、実は欲求ではなく恐れになっているんではないか?
と思っております。

単なる欲求じゃなく、恐れの反応なのが、承認欲求なのかもしれないよ!
ということなんですねー。

もちろんね。
自分を表現して、沢山の人に見てもらいたい!
という思いはあってもいいと思うんです。

それを楽しんだら良いんです。

でも、ここに恐れが混じってくると、途端にこの欲求の下僕となり下がってしまいます。

認めてもらいたいという思いは、人として誰でも持っているものですが、
自分が自分を認めてあげさえすれば、誰かに認めてもらう必要性は起こってきません。

そして、自分が自分を認めるのに、理由も条件も一切必要ありません。

花は誰かに認めて貰う必要があって咲いているのではありませんよね。
ただ、花としての表現を嬉々として表現しているだけですもんねー。
それでもう完璧であり、完結しているんです。

同様に、あなたがあなたとして在るということ。
これでもう完成しているんですね。

嬉々として在ればそれで良いんです。

そして、完成している上で、好きに遊べばいいだけです。

なので、自分が自分を認めるということに、理由や条件が入り込むスキなんて一切ないんです。

もし、自分は足りないという思いがあるのなら、何かしらの錯覚があるだけだということです。

錯覚の理由を躍起になって探さなきゃならないわけではありません。

へー。なんか錯覚をみてるんだねーってね。
でも、錯覚ならそれほど深刻に見なくてもいいよね。

ってスルーしてりゃいい話なんです。

それができないっ!ってね。
自我ちゃんは頑張るかも知れませんが、そんなときは、
そっかー、できないんだねーって言ってあげれば良いんです。 

 

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