Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

できる・できないという観念

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でっきるっかな?
でっきるっかな?
はてはてフムー♪
でっきーるっかーなー?

はい
というわけで、
おはようございます。
タクさんです

ノッポさんとゴン太くんのが楽しく工作する番組
できるかな?の歌で始めさせていただきましたが、
懐かしいですね。
小学生の頃、アニメもやってない時間に楽しませてもらいました。

真似をして、なんか輪ゴムで動く車っぽいものを作ろうとして、
失敗した記憶がございます。

 

ま、
そういうわけでございましてねー。
「どういうわけや!」
って突っ込まれそうですけど。

つまり、
ぼくらは、
できるかな?
まだできないかな?

散々言われて育ってきたわけですね。

そして、できないことをできるようになること。

これが成長だと教わってきました。

なので、色んなことをできるようになり、
便利になってきた反面、
できないということに対する劣等感も植えつけられてきたわけなんですねー。

なので、できない自分というのは、
なんとも情けなく感じたりもするわけです。

そんなこと、べつに一切関係ないんですけどねー。

ま、そんなわけで、
どうしても「できない!」という思いが湧くと、
その思いはできるようになるまで、納得してくれなかったりもするわけです。

この思考が納得しない状態は、
ちょっとした危機感として体に信号が送られます。
その信号を受け取った体は、危機感を受け取りちょっとした緊張状態を演出します。
この緊張状態は、不快感として演出されます。

そして、この不快感を感じた僕らは、

「つらいわぁ〜」

という「苦」を感じるんです。

そして、できないことをなんとかできるようにするわけですね。

この働きは、向上という意味では役立ちますが、
万能ではありません。

なぜ万能じゃないのか?というと、
できなくても良いじゃん!っていうことにも、働いてしまったりするからなんですね。

じゃあ、できなくても良いこと。
とは、どんなことかというと、

できそうにもないと思ってることなんです。

できそうにもないと思ってるのに、できるようにならなきゃ!と思うと、
ここに葛藤と摩擦が起きて、ずっと苦が演出され続けるという、
ちょっとしたバグのような状態に陥っちゃうんですよね。

できそうにもないと思うなら、まずはそう思っていることを認めてあげた上で、
できるかもっ!と思えるのを待てば、良いだけなんです。

そこで自分を責める必要はないんですよね。

ちなみにね。
このできるとかできないとか、
正解とか間違いとか、

これらの思い込みから解放されるという話はね。

できるとか、できないで解決される話じゃないんですよねー。

思い込みのなかに、「できる・できない」の概念もふくまれてますので、
思い込みからの解放をできるようになろうとする。

というのは、ちょっと的外れになってしまうんです。
僕らは、この機能ばっかりを使いすぎて、
無意識にこの機能を頼りすぎになっちゃってるんですよねー。

なのでまずはこの機能を置いておく練習をしてみるのもアリだと思います。

それがリラックスなんです。

 

 

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