Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

無意識に付与されるリアリティ

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はーい。
おはようございます。
今は、半分サラリーマン。
半分フリーランスで活動しているタクさんです。

以前は完全なフリーランスでやってたんですが、
このフリーランスで活動する時にね。
税金を払うのにお得なのが青色申告ってやつなんです。

これの申請をする時に屋号ってのを決めなきゃならんのです。

でね。
僕もその屋号を色々と考えた末に、
ブライミーデザイン。
という屋号にしたんですよ。

で、名刺を作ったりしていざ活動開始!
ってことになるんですが、

ちょっと笑ってしまうのは、
取引先の偉い人なんかもね。

「ブライミーさん。」

とか言いだすんですよ。

僕のことをね。
さも当たり前のことのように。

それを聞くと、

「あー。このひと。ブライミーさんとか言ってるぅぅぅ」
「僕が作った名前やのにぃー」

ってね。おもっちゃうんですよねー。

この妙な感覚。
文章で伝わるのかわからないですが、
僕が幼稚園の時に初めて「タクくん」と呼ばれた時の
妙な違和感と似てたんですよね。

「タク????はぁ??
あ、僕のことか。。。
そういうことになってるのか。」

みたいなニュアンスなんですけどね。

 

まあ、名前でもなんでもそうなんですが、
言葉っていうものは、単なる文字や音の羅列に過ぎないわけなんですが、
僕らはそれに意味を付与することによって、何かを共有するツールとして使っています。

ここで共有される何かというのは、すべて仮想のものです。
この仮想のもので構成された世界観。
これが僕らが「現実」と呼んでいるものなんですねー。

この「現実」を「真実」だと見誤ることで、僕らの言葉はリアリティへと変貌するんです。

とまあ、こういうわけなんです。

よくね。
あるがままに見なさい。
ってねー。

「あるがまま」「あるがまま」って言われてたりしますが、
その「あるがまま」を言葉で紡がれた理解の中に求めようとすると、見つかりません。

「あるがまま」とは、イメージを使って僕らは現実を作ってるよねー。
ということだからなんですよね。

 

もしそれを取り除こうとすれば、あなたはそれをリアリティだと認識しなければなりません。
ですから、無意識にリアリティを付与することが、自分がまさに取り除こうとしているものにエネルギーを与えているのです。
アジシャンティ

ってねー。
アジシャンティという方もおっしゃってはりますが、
まあそういうわけで、僕らはイメージに無意識にリアリティを付与しているわけなんです。

なのでね。取り除こうとする問題。
この問題をすでに受け入れちゃっておりますので、
この状態から何をしようとしても、もう大前提に
「問題がありまっせー!!!」
ということをすでに認めちゃってるんです。

この状態でいくら問題を無きものにしようとしても、
うまくいかないんですよねー。

じゃあどうすればええのん??

って話になって来るんですが、
そもそもどうにかしなきゃいけない!っていう思いが、
その問題を作り出しているということにもなりますので、

どうにもしなくて良い。

ってことになるんです。

するとね、
どうにもしなくて良いとはけしからんっ!!!

っていう衝動がねー。
出てきてくれると思うんですよね。

だったらね。
その衝動が出てるんだねということを許してあげるんです。

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