Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

で?っていう問題

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ほーい。
おはようございます。
タクさんです。

まあ生きてりゃねー。
いろんな問題にもぶち当たるわけでして、

僕らの人生は衝撃の連続だったりしますよねー。

僕もねぇ。
うわぁぁぁ。社会って余裕でわしを殺しにくるんや!!

ってねぇ。
思ったことがあります。

まあ実際に殺しに来るわけじゃないんですけどね。

不景気なんかになると、会社に入ってなかったりすると、
ほんとに、仕事が取れなくなったり。
今までは大丈夫だったことが急に通用しなくなったり。

まあ、言葉で聞けば、そりゃそうじゃん!って思ったりするわけですが、
実際にそういう目にあうと、

ありゃー。結構簡単に殺しに来るのね。

ってねぇ。
思ったりもするもんです。

 

まあそんなわけで、
人生には不意に衝撃が起こることがあるわけなんですよねー。

そしてね。
どうしたら良いんだー!という思いから、
こういう話にたどり着いた方も多いと思うんです。

でね。
うん。確かに私は存在しないのかもしれない。
確かに、僕らは幻想を生きてるのかもしれない。

ってねぇ。
その時は、楽な気分になったりするんだけど、
「で?」
ってなったりもしますよねー。
結局、問題は残ったままですもんねー。

まあこれね。
結局、元々の出発点に、
問題を解決しなければならない。
という衝動によって動いてるもんですのでね。

この衝動から生じた働きは、元々の出発点の枠からは出られないんですよね。

なんとかしようとする思いもまた、これは問題だ!という前提があるからでてるものですのでねー。

なので、問題や解決法っていうのは一旦おいておいて、
ここで観るべきは、元々の出発点、そしてその奥の土台の方なんです。

いくら、私はいないとか、分離はないとか聞いたところで、
この問題に対してはどうしたら良いんだ?という疑問は拭えないと思うんですけどねー。

私はいないから大丈夫だと思おうとしたところで役に立ちません。

どうしたら良いのかー!ってなりますけど、
もうねぇ。できることはやれば良いし出来なきゃ出来ない。
これ以上でもこれ以下でもないわけなんですよね。

どうすれば良いのかわからないのなら、もうわからないんです。
後で何か思い浮かぶかもしれませんし、わからないままかもしれません。

だったら、
できることをやった後は、もうこの問題についての話は終わり!ということにして、
あとは、問題解決はもうお任せしておいて、それよりも自分のワクワクの表現のほうを優先させてあげれば良いんです。
ま、そもそもの話をすると、問題というのは突き詰めると死の恐怖、命の危機というわけなんですが、生も死もイメージの中にしかないので、問題なんてのはないんですけどね。
なので、オロオロしててもそれで良いんですよね。しっかりとオロオロすりゃ良いわけです。

人生に衝撃はつきものです。
あってはならないことも起こるものですが、
このあってはならないー!ということを、あっても良いってね。
変えなきゃならない。ということじゃありません。
これを心で許してやるということじゃなくてねー

ただ、そういった衝撃が起こること。
これを許してあげれば良いんです。

でね。
ずっと問題解決を土台に生きなきゃならないわけじゃありません。
それよりも、オモロイ!と思うこと。
ワクワクすること。
これで生きても良いっていうこと。
これを許してあげるんです。

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