夜、帰宅するときにね。
いつも渡る橋があるんですが、
いつもこの橋のあたりでスマホを持った大人たちが集ってるんですよ。
しかも、知り合い同士ではないようで、みんな橋に集まってはいるんですが、
無言でしきりにスマホを操作してるんです。
「な、、、なんだ???この光景は・・・。」
って、僕も不思議に思ってたんですけど、先日謎がとけました。
みんな、ポケモンGOというゲームをやってるんですねー。
きっとこの端のあたりにゲーム内の施設があるんでしょうね。
僕も話題になってた時にちょっとだけやりましたが、
ポケモンというのをあまり良く知らないのでねー。
ずっとハマるということはありませんでした。
でも、今度、これとよく似たシステムのドラクエが出ると言うじゃないですか!
これだったら、ちょっとハマっちゃうかも、、。
なんて思ってるタクさんです。
皆さんおはようございます。
まあ、外を歩くことになるので、健康には良いかもしれませんね。
さてさて、幸せな感覚でいることってねー。
結構おトクでして、
たとえば、
この感覚できると、暴飲暴食を避けられる。
という論文も発表されていたりします。
また、この感覚は、満たされていますので、
満たされないために起こるいろんな執着を避けることもできます。
あれこれと頭に浮かぶ言葉に右往左往しなくなってきますし、
嫌な思いを反芻しなくてもよくなって来ます。
また、朝早く起きて、ちょっと作業してみようか!
散歩でもしてみようか!
みたいなね。
ちょっとした前向きな行動を取ってみようという気にもなってくるんですよねー。
なので、もう何でも良いので、幸せ感覚に浸ってりゃ良いんですよねー。
不足感を感じていると、さらなる不足を呼び、
満足感を感じていると、さらなる満足を呼ぶ。
ちょっと不公平に感じますが、そういう面もあるんです。
ただ、この幸せ感覚を感じる上で大事なのは、
条件をつけないことなんです。
そもそも、幸せっていうのは無条件なものなんです。
ポケモンなら、
「ポケモンゲットだぜ!」
となるわけですが、
幸せに関しては、
ゲットするものじゃないんですよね。
ゲットしようとすると、自ずと条件が生じ、
無条件な幸せは消え失せるんです。
苦を掴み取りさえしなければ、
ここに残るのは至福です。
だとしたら、どうすればこの苦は手放せるのか・・・。
そんな風に悩んじゃったりしますよね。
今掴み取っている悲しみや不安。
起こったことに対する後悔。
これをどうすれば手放せられるのか?
忘れることができるのか?
ってねー。
でもねぇ。
そんなん、忘れられるはずがないんです。
記憶喪失にでもならない限りはね。
手放すというのは、忘れるということではありません。
また、悲しみや不安をどこかに消し去ることでもありません。
だって、悲しみってあなたの愛情からくるもんでしょう?
だったら消し去る必要なんてなくて、包み込んであげたら良いんです。
不安や苦を手放さなきゃ、幸せは訪れない。
というのが、誤った見方なんです。
それも含めて至福なんです。
後悔をしてみたり、悲しさを感じたり。
そんなあなたは素敵です。
この素敵さをあなた自身が認め受け入れた時に、
あなたは、あなたに受け入れられることで、消えるんです。
自分というのは分離という不足感とともに現れ、
受け入れられた時に分離と不足感が消え、
そして同時に自分も消えるんです。
残るのは、無条件の至福です。