Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

正解があるという幻想

f:id:takuteto:20190813202854j:plain

ほーい。
おはようございます。
タクさんです。

昨今の学校教育。
この教育問題みたいなものがたまに話題になったりしますね。

意味のない校則とか、右へ倣えの教育方法とか。

まあ僕も聞き分けのない子でしたから、
ほんと毎日怒られてました。

僕が子供のときなんかはまだ昭和ですからねぇ。

先生が黒板で使うでっかい木製のコンパスがあるんですけどね。
あれでバシーンっって叩かれたり、
首根っこ掴まれて引っ張り回されたり、ビンタされたり。
そんなこともしょっちゅうありましたねー。

よく、怒られてどつかれてジンジンしてた思い出があります。

校則なんて僕の頃は守る気なんて一切なかったので、
ガンガン茶髪にしたりやってましたが、
今はテレビで校則が取り上げられるということは、
結構厳しくなってるんですかね?

まあとは言っても、日本の教育水準は問題はあるにしても、
世界的には高いほうなのかな?
なーんて思います。

以前、邱永漢(きゅうえいかん)さんが、
日本人はきれいな木は沢山育っているが大木が育たない。
整備された林みたいだ。
対して、中国人は痩せた木が多く混沌とした森のようだが、そのかわりとてつもない大木も育つ。

みたいなことをおっしゃっていたのを思い出しました。

整備された林というのはなるほどね~。
と思いました。

まあ教育は良いところもある反面、

同じ年の子たちを同じクラスに閉じ込めて、
「多数決で決めまーす」
とか、
「こちらが正解で、こちらが間違いでーす。」
みたいなことを繰り返し教育しちゃいますからねー。

多数派が正しい。
とか、
全てに正解と間違いがある。

みたいなね。

そういうウソの幻想がすっかり身についちゃったりするという
マイナス面もあるんだろうなーって思います。

特に、真面目な子ほど、特にこの幻想の観念を強く植え付けられちゃう。
っていうねー。
皮肉なこともあったりしてねー。

そもそも、
生き方にも、
仕事にも、
恋愛にも、
パートナーシップにも、
そして人生そのものにも、
これが正解です!
なんていう答えはありません。

学校教育を受けたあと、
こんな正解のない世界にポンと飛び出してしまうと、
あれれ??どうなってるの??
って迷っちゃうのも必然ですよねぇ。

 

人というのは、学ぶ力がとっても優秀な種族なんだと思います。
そして、それは集団生活をする上においてとっても役に立つものでもあります。

ですが、この学ぶ力が時に大きな錯覚を生じさせるんだと思うんです。

それがね。
世界のすべてもこの学びの中に閉じ込めちゃうということです。

実際にこの学びというのは、集団生活をするためのルール上に成り立っていますので、
ルールを学ぶのには役に立ちますが、あくまでもルールの範疇の中だけのことです。

空に浮かぶ雲。
この空は空ではありませんし、雲は雲ではありません。

ですが、僕らは空とした時点で、雲とした時点で、
沢山の見落としをしちゃうんです。

しょっちゅう、「正解も間違いもない」
ということを書いたり言ったりしていますが、
多分ここがとても伝わりにくい部分でもあるのかな??
と感じます。

正解も間違いもない???
それだと理解できないじゃないかー!

ってなりますもんね。

でも言ってることは、
僕らは理解をすることで、沢山の見落としが起きてるんだよー。
ということなんですよね。

だから、理解せずにいてみたら良いんです。

すると、理解をしなきゃいけないという衝動を自分の中に見つけることが出来るかもしれません。

この衝動こそが執着の正体なんです。

 

takuteto.hatenablog.com