Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

諦めるというのは、つまびらかにするということ。

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おはよーございます。
タクさんです。

なんていいますか、
皮肉なことなんですけどねー。

そうなんです。

僕らってね。
幸せになりたい!!と思うと、なぜか不幸に注目しちゃったりするんですよね。

でね。
この不幸をスルーしようとすると、
心の中の声が叫ぶんです。

これをスルーしたままじゃ、いつまでたっても問題解決にならないぞ!
この問題を解決しないことには幸せになれないんだぞ!

ゆーてねー。

 

ほんと逆説なんですけどね。

幸せになりたーいと思う時、
今幸せなことはスルーされて、
不幸せなことに焦点が当たっちゃうんですよね。

基本的に僕らって、今うまくいっていることについては、
どうでも良いと思っているんです。

だからね。
パートナー関係でもね。

最初は良いと思っていたことも、
途端にどうでも良いことになっていき、
この人の問題点!という部分がどんどん浮き彫りになっていったりするんですよねー。

でね。
幸せじゃないことって、この問題だと思っていることの中にしかないわけなんですが、うまくいっていることをスルーするのと同様にね。
この問題だー!と思っていることもね、スルーしてこそバランスが取れるんです。

なので、今だけで良いので、一旦置いておいたら良いんです。

ずっとおいておく。というのはちょっと抵抗があると思うんです。
でも、今だけならおいておけますもんね。

あらゆる修行。
瞑想や座禅や滝行。
心理的なアプローチや癒しや諦めるや明らかにするということ。

これらのことって何をしているのか?
というと、
問題だと思っていることに対して、スルーをする練習をしているんです。

置いておく練習をしてるんですよね。

ちなみに、瞑想をするためのイニシエーションや、
座禅の作法というのは、置いておく練習をするための前座のようなものです。

そしてね。
置いておくことで観えて来るものがあるんです。

それは何かと言いますと、

「あ、問題というのは掴んだり置いたりするような物のようなものじゃない」
ということなんです。

「これは自分で作り出し、働かさなければならない運動のようなものだったんだー。」
という気づきです。

この働きが静まった時、ここに問題はもともと一切なかったことを知るんです。

僕らはせっせと問題を作り上げ、これを作り続けている間だけこの問題を体験していたんです。

これがよく言われる独り相撲の仕組みだったんですよねー。

この独り相撲の仕組み。
ドッキリの仕組みが明らかになること。

これが、ほんとの諦めるの意味だったんです。

あきらめるとは、明らかにするということだったんです。
つまびらかにすること。これが諦めるということなんです。

問題だと思うこと。
それを今だけ置いておき、
問題のない今に落ち着いた時に、
ふと、
「こんなことが面白そうだなー」
というインスピレーションが湧いてきたなら、
このインスピに添加物を加えることなく、乗っかってみれば良いんです。

 

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