ほい
おはようございます。
タクさんです。
まーなんて言いますかね。
悟りの事を智慧と言ったりしますが、
この智慧っていうのはねー。
身につけるものじゃないんですよね。
だからねぇ。
いわゆる高僧の方その智慧の話をしていたとして、
その高僧が偉いから智慧が備わっているという見解は、
誤解だったりするわけです。
もちろん、高僧が偉くないわけではありません。
きっとすんごい修行とかをしはったんでしょう。
真似のできないような修行とかねー。
この点においては、
スゴイ人やで!!
ってなるんですけどね。
それと悟りはカンケーないんです。
よくねぇ、
悟りは個人が手にすることはできませーん。
ってね。
言われるじゃないですか。
エゴを捨てなさいとかね。
この辺の言葉からねー。
悟りは、自身を完璧に綺麗にして、
エゴ的な考え方から遠ざかるようになる。
すなわち、僕らを悩ませるような、思い通りにならないことへの悩みから解放されて、聖人君主のようになれる。
みたいなね。
そんな誤解も生じたりするわけです。
すると益々、自分と悟りとの間に、大きな溝ができてしまうんですよね。
でも、そーゆーことじゃないんです。
悟りとは、何を悟るのか?と言いますと、
プラスアルファやったんや!!
という事を、単に知る事だったんです。
は??
プラスアルファ??
どーゆー事??
ってなる方もおられるかと思いますので続けますねん。
自分と自分にまつわるストーリー。
これがプラスアルファなんです。
このストーリーを成り立たせるのは、
分離と時間の概念なんですねー。
僕らは、分離と時間という概念を使うことによって、
何かを何かとしてみなす事ができます。
何かを何かとしてみなすことによって、初めて
自分のストーリーを構築する事ができるわけです。
因みにね、何かとしてみなさない。
というのもねー。
これ、みなすの一部なんですよ。
めっちゃややこしいんですけど。
この辺もまた、分離の罠と言えるかもしれませんけどねー。
つまりそのまんまでもうすでにゴールなんです。
スタートがすでにゴールなので、
もう何にもする必要もなく、
また、面白いことに、僕らは何かをしているように見えて、
なーんにもしてないんですよね。
何かをしているつもりになっている間だけ、
僕らはその何かに取り込まれているというわけでしてねー。
ま、これもまた、実際に何かが取り込まれているということでもないので、
心配はいらんわけです。
全てはもう完璧なイノチとして表現されています。
プラスアルファで僕らは思考の世界観を遊んでいるわけです。
このおまけを苦しむもよし、楽しむもよしなんです。
苦しむコツは、このプラスアルファをなんとかコントロールしようとすることで苦しみが演出されます。
楽しむコツは、お任せしておくことです。
希望ややってみたいこともまた、お任せの中で生じてきますし、お任せの中で叶えてくれるんです。