Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

思い込みからの目覚め

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おはようございます。
タクさんです。

いやまあ、
ホンマにね。
自分を裁くのは自分だけですのでねー。

裁く場合には、ルールが必要になるんです。
でも、それはあくまでルールであって、真実ではありません。

せやからねー。
そんなルールに自分を押し込めなくていいんですよね。
押し込めちゃうと、ルールに沿わない自分は価値がないという事になっちゃうんです。

これ、
ほんと勿体無い話なんですよ。

史上最高の「mottainai」ですよ。

なのでねー。
まずは、嘘でもいいからね。
自分は素晴らしいんだ!ということにしておけばいいんです。

特にね。
自分の中で一番情けない部分。一番嫌な部分。
これをね。
素晴らしいということにしておくんです。

 

これってね。
まるで裸の王様をみながら、王様は裸ではないと思い込んでいるのに似てるんです。

王様は裸だけど、服を着ていると思い込んでいるんです。
それは、自分の情けない部分を情けないと思い込んでいるのと同じなんですよね。

あなたが掴み取った条件に沿うことが素晴らしいことではありません。

なのでねー。ぶっちゃけ目標とか目的とか、そういうのもいらんのです。

目標とか目的以上に、もう自分は素晴らしいんです。
これが真実なんですが、この真実を信じないという妙な思い込みに侵されていることが、
この真実から目を背けているということになるんですよね。

だから、情けない自分を正視できなくなっているんです。

そして、正視できないからいろいろな覆いをかけて見ないようにしてるんです。
そして、情けない自分じゃない自分を作り上げ証明しようと頑張っちゃうわけですが、
この頑張りもまた、情けない自分を認めた上での頑張りになっちゃいますのでねー。

いつまでたっても満たされないわけなんです。

これらは全て、何かしらの条件を本当だ!と錯覚したことから始まっているんです。

嘘でもいいから、情けない自分を素晴らしいとしてみることは、
ほんとーに素晴らしかったんだー!ということを見抜く入り口なんですよね。

素晴らしさに、条件は必要ありません。

僕らは条件の奴隷じゃありません。
条件は、便宜上、何かを何かとみなすために使うツールでしかないんです。

思いがけないことが起こり、
大事な人の悲しみに心苦しくなり、
望む目的も果たせず、
人と比べて自分の未熟を知り、
愚痴をこぼし、
腰も痛む。

これらすべてが、素晴らしいんです。

なんの心配も不安もなく、綺麗な家で潤沢な資産。
素晴らしく立派な人格。そしてスタイルがよく健康な肉体。

こういうのだけが素晴らしいんじゃないんです。

あらゆる条件は、幻想ですからね。
ずっと維持することは出来ません。
一瞬は通り過ぎることもできるかもしれませんけどね。

条件の奴隷になる時、
僕らは自分の中に情けない自分を飼い始めるんです。

この話はね。
情けない自分を情けないまま我慢をするという話ではありません。
条件の奴隷から自分を解放してあげるという話なんです。

情けなく、一番嫌な自分の素晴らしさを抱きしめてあげられた時、
覆われた空想のヴェールが取り除かれ、
光が差し込むんです。

 

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