Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

暇を持て余した神々の遊びっ!

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はーい。
おはようございます。

ゲームしてたらあっという間に1日がすぎちゃうことに、
ちょっとビビってるタクさんです。

みなさんは、どんな遊びをされていますでしょうか?

まああれですよ。
人生とか考え出すと、
自分はなんのために生まれてきたんだろう?
自分の使命とはなんなのだろう??

とかねー。

そんな考えちゃうことって誰しもあると思うんですけどね。

天職はなんだろう?
とかね。

こういうのって、誰かに教えてもらいたい!って思うかもしれませんけどねー。
この天職って、多分、勘違い能力!が問われるんだと思うんですよね。

 

まあなんだろ。
自分の生きる意味とか、自分の天職とかね。
そういうのって、確かめる術はないんですよねー。

そして、確かめることにすら意味はなかったりします。
なぜなら、この世には正解もなければ、不正解もありませんのでねー。

そもそも僕らのイノチは、仕事をするために現れているわけでもありません。
どちらかというと、遊ぶために現れていたりするわけです。

そんな遊びの中、
「お!これちょっとオモロイかも。」
というのがあったのだとしたら、

もうそれが使命であり、天職であるわけです。

確かめなくても、それがもう天職なんだ!
と決めてしまうこと。

勘違いかもしれないけど、それでいいじゃんっ!
というイイ加減な感じを受け入れてあげること。

それでもうイイんですよねー。

この辺の勘違い能力がとっても問われるんだろうなーなんて思います。

まあそもそもね。
僕もあなたも、そしてあらゆる全ても
エネルギーそのものです。

エネルギーとは「働き」であり、「動き」です。
どこにも止まったものはなく固定化されたものはありません。

そしてそのエネルギーとはもうワクワクです。

そこに乗っかって遊べば、それでイイんですよねー。
これをなんとかかんとか抑え込んでいると、
そこに抵抗が生じるわけです。

この抵抗が全く違った発散として出てきたり、
くすぶった感じの「苦」として生じたりするんですよねー。

つまり、遊べてない感じになるわけです。

ちゃんと遊べているときは、ここにもう比較や評価の入り込む余地はありません。
なーんていうか、他の人についてはどうでもよくなったりするかもしれません。

これは、投げやりな感じや、冷たい感じじゃなく、
単に他の人の評価が気にならなくなるってかんじなんです。

だからと言って、裸で街を練り歩くのも平気になるとか、
そういうこととは違うんですけどね。

気遣いをしなくなるとか傲慢になるってことでもありません。

まー、あれですよねー。
他人の評価が気になる時って、
自分がやりたいことをやってるというよりは、
人の都合にうまく合わせられているのか?
ということが気になっている時なんですよねー。

そのときは、結局、自分のオモロイ!をやっているように見えて、
自分じゃない何かしらの条件に沿っているのかどうか?
が気になっているということなんです。

それでも、うまくいけば幸せを感じるんですが、
その幸せは、長続きはしないし、うまくいかない時の不安が大きくなっちゃうんですよねー。

いま、自分は自分のオモロイをやっているのか?
っていうことを確かめる一つの指標としてね。

他人の意見を気にしているのかどうか?というのを
確かめてみるっていうのはイイかもしれません。

そして、大いに遊べばイイと思います。

人生とは、暇を持て余した神々の遊びです。

なーんにもしなくても、もう完璧です。
何かしたことによる評価で自分の存在価値が保たれているわけではないんです。

存在価値はすでにもうクリアしているんですもん。

 

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