Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

なんでもないもの

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むひひ。
たまには猫以外の写真にしてほしいっていうリクエストを頂いたので、
たまには猫以外の写真にしています。

おはようございます。
タクさんです。

最近は
「つまらないものですが〜」
といってお土産を渡すのはマナー違反なのだ!!!
といった話を聞きました。

ま、そりゃそうですし、つまらないものですが〜。
っていうのは、嫌いなので言ったことはないんですが、
マナーっていうのは、なんなのだろう??
とも思ったりしておりまして、、、。

ファッションのようなものなんでしょうね〜。

だとしたら、んなもん気にしてられるかいっ!
って話ですもんね。

まあ、僕もあまりマナーを気にしないでやってきましたので、
今後もこの調子で逃げ切ってやろうと思っております。

 

さてさて、
ボルダリングってありますよねー。
ぼくもボルダリングジムに行ったことがあるんですが、
運動としては、はしごを登るような感じで、意外といけちゃうんですよね。
初心者コースならですが、、、。

で、楽しくてやってると、あとで思いっきり筋肉痛になりました。

まあ、筋肉痛の話は良いとして、
ボルダアリングは取っ掛かりがあるから掴めるわけです。

あれが、つるつるの壁だとしたらボルダリングは始まりませんもんね〜。

僕らの思考もね。取っ掛かりがないと掴めないんです。
そして、この取っ掛かりとなるものが、分離であり、価値の差なんですよねー。

なので、思考は常に何かを分離して整理整頓し、
より価値のある方をつかもうとしているんです。

このブログで、
全ては「なんでもないもの」なのだ!

みたいなことをね。
僕もゆーてるわけですが、
思考は「なんでもないもの」は掴み取れません。

なんでもないものに価値を見いだせませんからね〜。

まさにとっかかりのないツルツルの壁のようなものなんです。

だからこの「なんでもないもの」に混乱もしますし、
掴み取ろうと躍起になるものの、なかなか掴み取れないので、
難しく感じたりするんですよねー。

また、
「なんでもないもの」だということに、ある種の落胆のような感覚を感じたり、
虚無的な感覚を感じたりするかもしれません。

これもまた、価値を見いだせないことによる混乱なんです。

なんでもないってことは、何も無いの??
といった誤解も起こるかもしれません。

でも、あるとかない。というのもまた、取っ掛かりの一つでしかなく、
僕らが思考で掴むために作った取っ掛かりってすべて「でっちあげ」なんです。

そして、僕らが感じる窮屈さや、思い通りにならないという「苦」もまた、
取っ掛かりを得るために設定された分離によって生じているにすぎず、

実際には生じてすらいない。

って言うことなんです。

「なんでもないもの」というのは、取っ掛かりや分離に依存してませんので、
無限の大きさがあります。

そして、限定されないので、思いっきりエキサイティングですし、自由なんです。

イノチが限定された枠から解き放たれるんです。

なのでねー。
なんか「なんでもないもの」という言葉に、
残念な感じを感じたり退屈さを感じたりする場合は、

あ、ワシは「ある」「ない」という分離のフィルターを通してみておるんだ!

ということになるんです。

そんなときは、フィルター自体を観てやれば、フィルターは消えます。

そして、フィルターを観てやるコツの一つが、
「ごくろーさーん!ありがとねー!」
労りの声をかけてあげることなんですよねーん。

 

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