Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

現実に立ち向かう覚悟

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はーい。
おっはようございます。
タクさんです。

昨日は「覚悟」という言葉について書きましたが、
今日もこの「覚悟」に関連したお話を書こうかなーと思います。

仏教とかの教えでもそうだと思うんですが、
佛法というのはね。
願望を叶えるとか、無事故を祈るとか、
信じることによってご利益がある。
みたいなねことじゃないと思うんですよね。

まあ、僕は、お坊さんじゃないので、「思う」ということにしておきますが、
佛法というのは、「教え」ですからね。

信じるとか祈るというのとは、ニュアンスが元々違うものなんだと思うんですよ。

お寺さんの成り立ちとかもねー。
そもそもは国の指導者が、一つの教えがあると国をうまいこと治めることができる。
というような理由で取り入れたのもあるかもしれませんが、
まあほら、
生きてると、いろいろとあるじゃないですか。
良いことだけが起こるというわけには行きませんからね。

そんなときにね。
真理の話で諭してくれる人がいるとありがたいと思うんです。
だからねー。地域にそういう役割の人が必要だったと思うんです。

特にね。
大切な人がなくなったときはツライですもんね。
そんなときは、一緒にいてあげるよ〜。
そして、お釈迦さんのお話をしてあげるよ〜。
という役割をお坊さんがしてはったんじゃないかな〜って思うんです。
それがお経だったんじゃないかな?

基本的には、みんなで佛法を学び、そして共有していこうね。
という考え方で、その学びの場所がお寺さんで、
そこを管理する役割をお坊さんが担っていた。
みたいな感じでしょうかね〜。

なので、お寺の維持費やお坊さんの生活費に関しては、
みんなで出し合うっていうっていう感じで、
町内会費みたいなもんだったんじゃないかなー?

ま、知らんのですけど。

 

と、なぜかお寺のお話になりましたが、
覚悟のお話でしたね。

昨日の記事では覚悟とは、我慢して受け入れるということじゃなく、
ありのままにリラックスするということじゃん。
ということを書きました。

そして、仏教の教えというか、悟りのお話っていうのもねー。
願いを叶えるとか、無事を祈るというニュアンスではなく、
今、目の前に起こっている現実に立ち向かう覚悟を持つためのも教え。
なんですよね。

多分、成功哲学とかスピリチュアルとか引き寄せとかも、
この現実に立ち向かう覚悟。
これを無視しちゃうとうまくいかないんじゃないか?
って思うんです。

「現実に立ち向かう覚悟。」
というと、ちょっと厳しく聞こえるかもしれませんが、

これは、
許しと緩みのお話なんです。

どういうことかといいますとね。

現実というのは、思考のイメージのことです。
思考のイメージなしに現実はありません。

そしてね。
思考のイメージというのは思い込みのことなんですよね。

現実に立ち向かう。
というのは、現実を否定するでもなく、また肯定するでもなく、
いま、どのような思いを捉えているのか?
ということを、ちゃんと確かめてみる。

ということなんです。

またね。
覚悟を持って現実に立ち向かうというのは、
迷いなく、思い込みをしっかりと観る。

ということになるんじゃないかな?
って思います。

思いというのはね。
どうでもいいことはスルーしがちです。

そして、どうでも良くないことに注目するんです。

どうでもいいことというのは、うまくいっていることなんですよね。
問題じゃないことですね。

そして、どうでも良くないことというのは、うまくいっていなくて問題となっていることなんです。

どうしても、不安なことばっかり考えちゃうっていうのはね。
ある意味、思考としては正常な機能なんです。

また、不安感というのは、思考だけでは機能しません。
どこか体に緊張感が走ることによって、不安を演出しているんです。

そして、思考というのは働きです。
働きというのは、動きです。
思考の動きはストーリー展開として働きます。

ストーリー展開には材料が必要となります。

この材料がどんどん投入されて、ストーリーが展開していくわけです。

この材料は、不安な気持ちが大前提となり作り出されます。

僕らの思考は、現状をつじつま合わせするように働きますので、
不安な気持ちに対して、ちゃんとつじつまの合う材料探しをするんですよねー。

だからついつい、問題が問題をうみ、展開していきがちなんですよね。

でも、問題はどうでも良くないこと。受け入れられないことですので、
それが展開すればするほど、危機感は増していき、そして体は緊張感が走り、
不安感が演出され、更に不安な材料集めをする。

ということを繰り返しちゃうわけです。

なので、そこで、

「おいちょっと待て!
いまわしは、道具である思考に良いように翻弄されてはいやしないか??

ってね。
立ち止まって、不要な材料集めは一旦おやすみしてみるんです。

一旦、嘘でもいいので許してあげるんです。
問題は許せない思いを燃料にしていますのでね。
許されちゃうと、働かなくなるんです。

そしてね。
同時に緊張感も緩めてあげるんです。

緊張感のない思考は単なるイメージです。
ここに不安感は生じないんです。

これが、許しと緩みです。

そうすることによって、初めて落ち着いて、
思い込みの観察が出来てくるんですよねん。

 

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