はーい。
おはようございます。
タクさんです。
閑(しずか)さや岩にしみ入(い)る蝉(せみ)の声
これ、松尾芭蕉が山形県の立石寺(りっしゃくじ)で詠んだこの句なんだそうです。
有名な句ですよねー。
この句の解釈は色々とあるんでしょうけどね。
僕は、心の静けさを表してるんじゃないかなーってな感じるわけです。
このお寺は山の奥にあるお寺らしいんですけどね。
きっと俗世間から離れた、静けさのあるお寺だったんだろうなーと想像できます。
特に今は、車でさっといけるんでしょうけど、
当時はせっせと歩いて山を登って、スマホのマップもないから、
この山道で合っているのか?と若干不安になりながらも、
聞こえるのは自分の息遣いのみ。
どこまでこの山道を進むのか検討もつかないままに歩いていると、
荘厳なお寺が姿を表す。
なんかそんな感じなんでしょうねぇ〜。
まあ、普通はね。
蝉の声はうるさいものです。
網戸に止まった蝉が鳴き始めると、
会話もできなくなるほどのやかましさですもんねー。
でもこの、うるさい!という思いは、心の中に起きているんです。
街の喧騒なんかも、心もまたこの喧騒に同化していると、
やかましい喧騒に感じられるものなんですが、
心が落ち着き、静まっているとそれは静寂なんですよねー。
結局、うるさかったのは、心でピックアップされた頭の中のおしゃべりであって、
どんな音も、声も、拾い上げなければ常にここは静かなものなんです。
静かな場所にいたとしても、頭であれこれ考えてると、
そこは喧騒とかんじられますし、
どんなにやかましいところでも、心が落ち着いていると、
ここは静寂となるんです。
つまり喧騒は、心の中にあるんですよね。
全く知らない言語の国なんかで、お茶なんかしてると、
日本にいるよりも静かに感じるな〜。と感じたことがあるんですが、
日本だと、話し声の意味も看板の文字も意味としてピックアップされちゃいますが、
全く知らない言語だと、文字もシミと同じように感じられますし、
言葉も意味のない音としか聞こえませんからねー。
うるさく感じにくかったのかもしれません。
空を飛ぶ鳥やその辺を歩く猫にしたら、
まさに言葉は意味のない音ですし、文字はシミのようなものです。
僕らは、言葉に意味をつけて、何でもないものに色付けをしているんです。
まさに、空(くう)に架空の色をつけて観ているというわけです。
そして、この色付けのほうを、真実だと錯覚をしているんです。
一切の言葉を、置いておくと、
ここにあるのは、何でもないものだけです。
無色透明だから、どんな色にも染められますが、
その色は実際にあるものではないんです。
これが見抜かれる時、色付けされた現実は、無色透明の真実と同じだったことを知るんです。
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