ほーい。
おはようございます。
タクさんです。
僕らの目の前の世界。
そんな世界の全てを僕らは掴んでいるわけではありません。
後ろの方で聞こえる風の音、
目の前を行き交う人々、
脇を走り抜ける車。
アスファルトの切れ目から生えている雑草。
はたまた、
ふと浮かぶ思考エネルギー。
足の裏に感じる感覚。
すれ違う人の目線。
餌をついばむカラス。
僕らの目の前の世界のあらゆるもののほとんどは、
スルーされています。
目の前の中からほんのひとつまみだけを僕らは拾い上げます。
拾い上げたものもまた、起こっては消えていきます。
そのほとんどは記憶にも残らず消えていくんです。
一週間前に食べた昼ごはん。
午後の休憩で飲んだコーヒーの味。
ふと目に留めた広告のキャッチコピー。
これらは一度は拾い上げられましたが、
すぐに消えていくんです。
そんな、味わった経験の中、とっても気になるものだけ僕らは取っておこうとします。
その経験は、ふと目に留めたキャッチコピーなんかよりとても重要だと認識されたというわけです。
実際には、経験はモノではないので、モノのように取っておいて保管しておく。
ということはできません。
では僕らは、どうやって経験を取っておこうとするのか?
というと、その働きをなんどもリフレインさせるんです。
経験を何度も再体験するんです。
よくねー。
どうしても自分の思い込みを手放せない。
なんて聞いたりしますが、
実は、自分で再構成をしない限りは、この思い込みを再現することはできません。
つまり何もしなきゃ、もう手放せてるんですよね。
手放すのに何かをする必要はないということです。
僕らは思考のイメージと体の感覚を使って、経験をその都度、再構築しているんです。
そして、イメージで再構築されたものを疑似体験しているというわけです。
そしてその疑似体験が起こっている間、手放せてないという思いも抱くというわけですねー。
ではなぜこうも何度も再構築されちゃうのか?
といいますと、もちろんそれは、
後ろの方で聞こえる風の音なんかよりも一大事だと捉えられているからなんですねー。
そして、その一大事に対して、危機感を抱いている場合は、
危機に対する対処法を見つけようと何度もトライするわけです。
それがわからない場合はトライをし続けることになりますので、
何度もリフレインされるというわけです。
では、この危機感はどこから起こるのかというと、
大体は、
「自分には何かが足りない」
という思いから起こっています。
そしてその足りなさを許していないわけです。
この許していないという思いが、その疑似体験を生み出す原動力になっているわけです。
本来、風の音と、その一大事だと捉えていることの間に、
なんら価値の差はありません。
ですが、こういった危機感や足りないという思いが、
大きな価値の差という錯覚を生じさせているんですよねん。
ですが、普段僕らは、
そもそも、どんな衝動に巻き込まれているのか?
について無自覚だったりします。
まずはその衝動に気づいてみること。
そして、その衝動の根っこにある不足感を許してあげることで、
この衝動は原動力を失うことになるんです。
というわけで、今日はこの辺りまでにして、
明日は、衝動の根っこにある不足感を許してあげることについて、
もうちょっと書いてみますねー。
また明日、お会いしましょう!
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