Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

この先のことに過去は関係ない

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はーい。
おはようございます。
タクさんです。

変えたいのに、変えられない。
こうしたいのにできなーい。

みたいなことってねー。

僕もそうですが、みーんなあると思うんですよね。

あなたがもし、
「私だけが普通のことができないんだ。」
ってねー思ってるんだとしたら、
それはきっと錯覚です。

SNSなんかをみてると、みんな充実してるように見えちゃったりするもんですが、
そりゃ、どうにもうまくいかないってなことを誰もわざわざ書かないですからね。

だから、充実したことばっかりに埋め尽くされるわけです。
そんな投稿たちと、自分を比べて悲観するのも、これまた、錯覚を助長してるにすぎないんですよねー。

 

さて、

大きく変わることは、文字通り「大変」だということになります。
ですが、小さく変わるを繰り返していくと、これまた大きく変わることになりますのでね。

もし、何かを変えたいけど、難しく感じているのなら、
小さく変えるを淡々とやればいいんじゃないのかな?
なんて思います。

また、変えることに大きなプレッシャーは必要ありません。

そんなん、変えても変えなくても良いことでもありますからねー。
面白がってやればいい。くらいに捉えてても良いんじゃないかな?

なんて思います。

僕らは、この先を想像するときは、
どうしても過去の出来事を参照してしまいます。

でも、自分の中に収められている過去の記憶っていうものは、
なんていうか、とても限定された小さな小さな情報でしかないですからねー。

それで、未知をおし測るというのは、どうしても無理があります。

ですが、僕らは過去のイメージを引っ張り出す時、同時にその時の感覚までをも引っ張り出しますので、すごくリアリティのあるイメージとして引っ張り出すんですよね。

なので、
「どうせ私は今までもうまくいかなかったから、今度もうまくいかないに違いない。」
と錯覚するわけです。

そして、ちゃんとその思いに沿うような情報を集めたりもするんですよねー。

「どうせうまくいかない」という理由を、ネットでわざわざ検索しちゃったりしてねー。

うまくいかないという妄想をどんどん現実視してしまうんです。

マインドは、わからないということをとても嫌がります。
なぜなら、わからないということはリスクですからねー。

リスクというのは不確定要素のことです。
確定していることはリスクではありません。

明日倒産します!
って言われた時はショックは受けますが、
あとは淡々とやれることをやれたりするんですよね。

ですが、もしかしたら、倒産するかもしれない。

っておもうと、悩んじゃったりするわけです。

どうすれば良いかわかれば良いんですが、わからない部分は必ず残りますので、どうしても悩みが尽きないんですよね。

わからないということについては、
どうすれば良いんだ?と「わからない」を解消しようと右往左往しちゃうのがマインドなんです。

ですからねー。
マインドにとっては、変わるというのもまたリスクなんです。

うまくいっていないとしても、変わるのは怖くかんじるんです。
なぜなら、今までと変わるということは「わからない」部分がどうしてもついてくるからです。

なので、
「変わりたいけど、変わりたくない。」
と葛藤しちゃうんですよね。

ですが、実際のところ、変わっても良いし変わらなくても良いんです。

このどっちでも良いということが自分の中に受け入れられたら、
変わることへの負担も少なくなったりするんです。

どっちでも良いの受け入れは、マインドの声をスルーしても良いと許せることなんです。

だから、わざわざ過去の材料で未来を予想しなくてもよくなるんですよねー。

ま、僕らの想像する未来は、自分が覚えている限定的な過去の振り返りでしかありませんので、あまりあてになりませんので、不安な未来に対してあれこれと悩む必要ってないんですよねん。

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